「人工肛門」いらずの新治療に直腸がん手術の名医が異議

 直腸がん(大腸がん)で、がんが肛門に近い部分にできていた場合、がんと一緒に肛門を切除し、人工肛門をつけるのが標準的な治療だ。ところが、手術をしても肛門を残すことができる「括約筋間直腸切除術(ISR)」が登場し、注目を集めている。当初は慎重な姿勢を示す医師が多かったが、最近はISRを治療の選択肢のひとつとして取り入れる病院が増えてきている。しかし、それに異議を唱えるのが、直腸がん手術の名医として世界的に知られる駒込病院大腸外科・高橋慶一部長だ。その理由を聞いた。

 肛門を開閉する筋肉には、自らの意思で動かせない不随意筋である内肛門括約筋と、自らの意思で動かせる外肛門括約筋とがある。ISRは内肛門括約筋だけをがんと一緒に切除し、外肛門括約筋は残すので、人工肛門を回避できる。

「ISRが価値のある治療法であることは確かです。ただ、〈これで肛門を残せる〉と飛びついていい治療法ではありません。ISRが適応できる直腸がんは、非常に限られているのです」

 直腸の末端部分は肛門につながる肛門管へと続いているが、ISRが適応できるのは直腸がんのステージⅠのうち、がんの浸潤が粘膜下層までにとどまる早期がん――。それが、高橋部長の経験に裏づけされた考えだ。

「直腸がんが筋肉をこえて浸潤している場合、ISRで外肛門括約筋を残したために、がんを取り残してしまう可能性があります。ステージⅠの直腸がんは再発があってはいけないがんですが、ISRを行う医療機関での再発率は、多いところでは15%。再発すると、5年生存率は30%を切ることもあります。最初の段階で人工肛門になっても、がんをすべて切除していれば5年生存率が90%以上になります。そのことを医師も患者さんもしっかりと理解しなくてはなりません」

 さらに、内肛門括約筋と外肛門括約筋という2枚ある括約筋が、ISRの手術後は1枚になる。

「排便機能はどうしても落ちます。排便回数が5~6回に増え、オムツやパッドが手放せないという人も少なくありません。術後10年、20年とたつにつれ、加齢による括約筋の衰えも加わります。垂れ流しとなる状態がひどくなり、常にオムツをつけなくてはならず、肛門周辺がただれて人工肛門にしなくてはならなくなったり、外出を控えるという結果になることもあります」

 そのままではISRが適応できない直腸がんに対し、まず放射線を当ててがんを縮小させ、その後、ISRを行い肛門を残すという方法を取り入れる医療機関も出てきている。しかし、それを先駆けて行っている欧米では、放射線によって肛門周辺の筋肉が硬くなり、肛門の収縮力が弱り、排便機能が著しく低下するという事例が報告されているという。

「人工肛門をつけると、患者さんの精神的な苦痛が大きいことは十分に承知しています。でも、人工肛門は次第に慣れることはできる。しかし、ISRで再発してしまったら、取り返しがつきません。がんを再発させないということが、がん治療の大前提ですから、患者さんがISRを希望されても、確実に適応できるという場合でなければ、私は行いません」

 治るべきがんが再発するのを見るのは医師として耐えられないと、高橋部長は言う。
 医師の中には、ISRの推進派と慎重派がいる。どの治療を選ぶかは、結局は患者本人にかかっている。頭に入れておくべきは、ISRが決して夢の治療法ではないということだ。

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