西アフリカで猛威をふるうエボラ出血熱。昨年12月にギニアで初感染が確認され、死者はすでに3000人を超えている。米疾病対策センターは“来年1月にも感染者は55万~140万人に拡大する”と予測しており、日本国内への感染は何としても食い止めたいところだ。ギニアといえば、オスマン・サンコンさん(65)。元ギニアの外交官で現在はギニア日本交流協会の理事を務める。サンコンさんに話を聞いた。
■5人の子供のうち、3人はギニアに
スカイプを使って、毎日、ギニアの家族や友人と連絡を取り合っています。先日、弟から聞いた話では、サンコンの出身地のボッファ県の市場で貧血で倒れた人がいたのに、周囲は誰も助けようとせず、一斉に逃げたらしい。普段のギニア人は、困った人がいれば率先して助けるような人柄です。事態はそこまで切迫しているようです。5人の子供のうち、3人はギニアにいます。サンコン、とても心配です。
――ギニアは西アフリカに位置し、日本の約3分の2の国土に1170万人が暮らす。1人当たり国民所得は年440ドル(約4万8000円)。決して豊かとはいえない。
ギニアでエボラ感染が確認されたのは、昨年12月に南部のゲケドゥで男の子が血を流して亡くなったのが最初。ギニアでは死者の亡きがらを村中の人がさすって弔う風習があり、土葬なんです。これがエボラを拡大させた一因ですが、村人たちを責めるわけにはいきません。
人類がエボラウイルスに初めて接したのは、76年のザイール(現コンゴ民主共和国)でした。直線距離でギニアとは4000キロも離れています。まさかギニアでエボラが発生するとは考えも及ばなかった。コウモリが感染源とされ、実際にゲケドゥ周辺では乾燥コウモリを食べる習慣があります。でも、現地の人は何百年も前からコウモリを食べている。急に今になって、エボラウイルスが猛威をふるったのには、地球の温暖化など急激な環境変化にも要因があるかもしれません。
――ギニア政府の初動対応の遅れが、感染を拡大させたと指摘されている。早めに国境を封鎖などしていれば、近隣諸国まで被害は拡大していなかったという批判だ。
原因が分かっていれば、早めにシエラレオネやリベリアなどとの国境を封鎖すべきでした。しかし、西アフリカ15カ国は、欧州のEUのような西アフリカ諸国経済共同体を締結していて、パスポートも共通です。人々は車やバスに乗ったまま互いの国を自由に行き来している。国が国境を封鎖しようとしても、完全に往来をやめさせることはできなかったでしょう。
――日本に居住する在ギニア人は、サンコンさんも含め約30人。9月21日に都内のギニア大使館に集まり、職員から現状報告を受けたという。
ギニアだけで600人以上の人が亡くなっているという報告を聞き、出席した人すべてがショックを受けていました。シラ駐日大使が「ここに黙って座っているより、何かアクションを起こしましょう」と提案し、寄付を募りました。全部で二十数万円でしたが、物価が日本の20分の1くらいのギニアでは大金。すでにギニアに送金しました。
先日、兄から〈今年は帰ってこない方がいい〉と電話で言われました。私の5人の子供のうち、3人はギニアで暮らしていて、毎年12月に里帰りしていますが、感染リスクや出入国の難しさなど、ギニアはまだまだ混乱が続きそう。サンコン、悲しいです。