患者に聞け

【心臓病】30年間に3度発症「何度も経験して言えることは“緊急事態でも慌てるな”です」

(C)日刊ゲンダイ
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 この4月、「日本大学駿河台病院」(東京・御茶ノ水)に「心筋SPECT検査」(心臓内の血液の流れをカメラで撮影する検査)を予約しているエネルギー開発会社(東京・日本橋)の会長、島中浩一さん(仮名、65歳)。
 この30年余り、「心臓病」と格闘してきた。

 最初、「狭心症」に襲われたのは30歳を迎えた頃だった。高血圧や糖尿病を抱えていた。この時は3カ月間入院し、九死に一生を得た。

 90キロあった体重が20キロほど落ちて栄養失調になり、元の体力に回復するまで4年間を費やしたという。

「酒豪でした。当時はビールなら一晩で24本、日本酒ならとくり52本飲んだことがありましたね。たばこも一日100本は吸っていました」

 しかし、「狭心症」という大病を経験した後、酒の量を少し減らし、たばこをやめた。

 それでも体重は82キロ。ダイエットにも心がけ、食事は野菜中心にと気を使ってきた。だが、血圧は相変わらず高い。日によっては上の血圧が300㎜Hg(正常値は120~129㎜Hg)になることもあった。

 年に3、4回という循環器科の定期検診を欠かすことはなく、血栓予防薬、バイアスピリンなど約20種類にも及ぶ医薬品を毎日、服用してきたという。

 狭心症発症から30年を経た3年前の6月、再び心臓に異変が。

 岡山出張で早朝、羽田空港のロビーに着いた時、心臓付近に激痛が走った。

「担当医からいろいろとアドバイスを受けていたものですから、症状に結びつく病気の知識がありました。これは『心筋梗塞』だと直感しましたね。自動販売機ですぐ水を求め、濡らしたハンカチで胸を押さえながら、3時間ほど長椅子に座っていたのです」

 症状が少し落ち着いた後、タクシーで「日本大学駿河台病院」に行き、そのまま緊急入院。冠動脈の狭窄部に「ステント」(金属製の筒)を留置する手術を受けたという。

 8月に退院して仕事に復帰したが、それから4カ月後の12月、生死をさまようことになる。3度目の経験だった。大阪出張からの帰り、東京駅に着いて間もなく、ホームで呼吸困難に陥った。今度は「心不全」である。

「これが最後、命を取られると思いましたね。いつもポケットに『ニトロ』1瓶を携帯していますから、これを舌の上に3滴ほど垂らしまして、タクシーで日大の駿河台病院に行きました」

 主に肺から水を抜くという治療を続け、20日間入院して生還した。

「仕事が多忙で、入院中でも電話を離せない。連日、見舞客も多く、他の患者さんに迷惑をかけないように、入院はいつも特別室になります。ですから、入院費用は個人負担で200万円ぐらいかかる。薬代も月に2万円。大病を何度も経験して言えることは、『緊急事態でも、絶対に慌てるな』が、基本ですね」

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