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【肝臓移植】「東京では無理と言われ関西の病院を探してもらった」

写真はイメージ/(C)日刊ゲンダイ
写真はイメージ/(C)日刊ゲンダイ

 2カ月に1回、東京大学医学部付属病院(東京・文京区)で肝臓や胃の定期検査を受けている多田治さん(仮名、64歳)は、“肝臓移植”者のひとりだ。

 本人いわく、戦後間もない幼少の頃、使い回しの注射針からC型肝炎に感染。理由もわからず「だるい」症状を抱えたまま青春時代を送ってきたという。

「30歳の健診で、だるさの原因がC型肝炎と分かり東大や癌研でそれなりの治療を受けました。しかし、50代に入ると、もう体がどうしようもなく疲れてしまう。東大病院の診断では、肝臓機能が末期症状で、もはや医薬品や手術では回復の見込みがなく、残された道は肝臓移植しかありませんと告げられました」

 問題は誰から肝臓の提供を受けるのか。すぐに身内の実弟たちに相談したが、血液型が違っていた。血液型が違う肝移植は強い拒絶反応などが問題になる。多田さんはB型。幸い、同じB型の血液を持つ人が身近にいた。25歳年下の夫人だ。

 夫人の知り合いの医師の紹介で多田さんは、京都大学医学部付属病院(京都市左京区)に連絡。「すぐに来なさい」と言われ、「肝臓移植」の手術を決断した。

「当初は東京での移植手術を考えて病院を探したのですが、“できない”“無理です”と言うばかりで、見つかりませんでした。そこで妻の知り合いの医師に病院を探してもらったのです」

 東京から京都に向かう前日、知人や友人が60人ほど集まり、「生きて帰ってこいよ」と、送別会を開いてくれたという。

 8時間に及ぶ大手術で、隣の手術台で横たわる夫人の肝臓のうち、6割ほどが多田さんに移植された。

 1カ月間入院し、退院後から約10カ月間、病院前に借りたマンションに住み、夫婦で京大病院に通院した。

「治療代金は300万円ほどだったでしょうか。術後の主な治療は、肝臓で生成される胆汁が詰まるのを除去することでした。この症状には警戒し、現在も定期検査を受けています」

 夫人から「若いピカピカ」(多田氏)の肝臓を提供されて、長年、苦しんできた、だるさから解放された。

 ところが5年前、再び大病が襲う。胃がんが見つかり、東大病院で胃の3分の2を切除したのだ。

「手術は5時間ほどかかりました。術後、集中治療室から4日目で出ましたが、私は担当医に、フグのおじやを食べたいとわがままを言いまして、さらにその翌日には、すっぽん料理を食べてしまいました」

 現在、朝、昼、晩に合わせて10種類の医薬品を服用しているが、多田さんはもうひとつの病気を抱えている。糖尿病である。

 そのため、運動療法として万歩計を携帯し、毎朝、1万2000歩前後の散歩を欠かさない。

 仕事を生きがいとして、土曜、日曜の出勤を続けている。たまに夫婦喧嘩をすると、夫人から、「誰のおかげで生きているの!」と叱られるという。

 多田さんは、「こんな体でも元気で過ごす秘訣は、とにかく寝ることですね。深夜目覚めることがあっても、起きることなく我慢して寝ることです」と語っている。

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