「いっそのこと殺してほしい。安楽死です。夜中にこんな痛みと闘うのは、そして飯が食えないのは本当につらい」
今年5月に大腸がんで亡くなった俳優・今井雅之さん(享年54)は生前、ステージ4の末期がんの闘病のつらさをこう語っていました。頬は痩せこけ、声はかすれ、元気なころとは別人でした。変わり果てた姿に、そしてあの会見からわずか1カ月足らずの突然の訃報に、末期がんのつらさをひしひしと感じた方も多かったでしょう。
日本人の2人に1人、男性だと3人に2人はがんになる時代。今井さんのケースは、決して人ごとではありません。“世界一のがん大国”に暮らす私たちにとって、“がんの壁”を越えるための知識を身につけておくことは必須でしょう。まず、今回はがんの痛みについてです。
あの会見を見た方は、末期がんの痛みはかくも苦しいのかと思われたはず。しかし、結論からいうと、末期がんであっても、その痛みは消すことができます。そのための治療が緩和ケアです。
私の患者さんで、こんな方がいました。アラフォー美人で、キャリアウーマンの浜田伶子さん(仮名)は、5年前に左乳がんと診断されました。「乳房温存療法」は成功したのですが、背骨に転移が見つかり、その激しい痛みから一時は仕事を辞めようと思われたそうです。
しかし、緩和ケア医と相談しながら、抗がん剤の投与と並行して「緩和ケア」を行ったところ、痛みは完全に消えて、仕事に復帰。今でも、治療を続けながら仕事に励み、今年からは部長に昇進されたことを喜んでいらっしゃいました。
成功例はこのケースに限ったことではありません。緩和ケアとは、病気に伴う心と体の痛みを和らげることが主眼で、医学的に確立された治療です。このような治療をしっかり受ければ、痛みや心のつらさが軽くなったり、消えたりして、体調全体がよくなります。浜田さんのように仕事にヤル気が出るだけでなく、心理的な負担が軽減されて、周りの人にも優しく接することができるように。日常生活のメリットは計り知れません。
この緩和ケアの核となるのが、モルヒネに代表される「医療用麻薬」です。医療用とはいえ、“麻薬”と名がついているせいか、“中毒になる”“寿命を縮める”といった誤解があるようですが、どちらもウソ。医師の指示を守って使えば、中毒になることもなく、すぐれた鎮痛効果が得られます。
ところが、日本における医療用麻薬の使用量は1日あたり116グラムで、米国の16分の1と非常に少ない。米国ではがん以外の痛みにも医療用麻薬を使いますが、日本の使用量が極端に少ないのは事実で、「末期がんの痛みは取れない」という誤解は、医療用麻薬の使用量の少なさにも理由があるでしょう。
緩和ケアに慣れていない医師がいるのも事実ですが、国や都道府県が指定する「がん拠点病院」なら緩和ケアのスタッフが揃っていて安心です。
中川恵一・東大医学部付属病院放射線科・准教授
Dr.中川のみんなで越えるがんの壁