天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

出血繰り返す合併症があると手術は難しい


 心臓弁膜症で手術を勧められましたが、糖尿病網膜症による眼底出血を合併しているため、まだ手術はできないと言われています。網膜症の状態と血糖値のコントロールを優先させなければならないのでしょうか。(76歳・女性)


 心臓をいったん停止させ、人工心肺を回す手術では、「ヘパリン」という血液をサラサラにする薬を大量に使います。それだけ出血しやすい状態になるため、心臓病以外に出血を伴う合併症がある患者さんは、大出血を起こして深刻な状態を招くリスクが高くなります。

 糖尿病網膜症は、糖尿病の3大合併症のひとつで、日本人の失明原因の第1位になっている病気です。血糖値が高い状態が続くと網膜の血管がダメージを受け、出血を起こすようになります。

 出血している状態で心臓手術を行えば、さらに出血を助長して最悪、失明してしまう危険もあるのです。いまの段階では、手術は避けた方がいいでしょう。

 高血糖によって網膜の血管が詰まったり変形するなどして血液が流れにくくなると、それをカバーするために新生血管が作られます。病状の進行とともに、その新生血管は網膜や硝子体に向かって伸びていきますが、非常にもろく、破れて出血しやすいので、硝子体に出血することがあります。こうした網膜症の増殖期の患者さんや、硝子体出血を繰り返しているような場合は、やはり手術は様子を見たほうが賢明です。

 かつて、同じように網膜に出血を起こしていて、心臓手術が優先される段階に入っている患者さんを手術したことがあります。そのときも、まずは網膜の出血が進行しないようレーザー凝固治療を行い、同時に薬剤で血糖状態をコントロールし、6カ月以上再発していないことを確認したうえで手術を行いました。

 ヘパリンの投与によって出血しやすくなっている状態を少しでも短くするため、短時間で手術を終わらせるアプローチも必要でした。出血を繰り返しているような合併症がある患者さんの手術は、それだけ注意が必要になるのです。

 先週取り上げた慢性硬膜下血腫のように、脳血管の出血を伴う病気を抱えている患者さんの手術も慎重に臨まなければなりません。以前、海綿静脈洞部硬膜動静脈瘻という病気を合併している心房細動の患者さんを診た経験があります。

 海綿静脈洞部硬膜動静脈瘻とは、脳の大きな静脈に動脈が直接流れ込んで起こる病気で、脳の周囲が腫れたり、出血を起こすケースがあります。その患者さんは、心房細動の治療で血液をサラサラにする抗凝固剤を飲んでいましたが、薬を服用していると硬膜下に血液が染み出してたまり、止めると血液が吸収されてなくなるという状態を繰り返していました。

 その状態を回避するため、抗凝固剤を飲まなくて済むように心房細動を治すメイズ手術が検討されたのですが、結局、手術はしませんでした。それまで服用していた抗凝固剤よりも効果の発現が早く、効きすぎによる出血のリスクも低い薬を使うことになったのです。

 他にも、大腸憩室炎などで頻繁に出血を繰り返し、過去に輸血が必要になったようなことがある患者さんも、手術はなかなか難しいといえます。

 ただし、出血を伴う合併症を抱えている患者さんは、絶対に手術できないというわけではありません。出血は「繰り返している」という状態が一番よくないので、それを安定させればいいのです。心臓の病状と、抱えている合併症の状態をしっかり確認し、最適なタイミングで的確な手術を行うことが大切なのです。

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。