天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

脳に障害与えるリスク負ってまで手術する必要はない


 大動脈弁閉鎖不全症で手術が必要だと診断されています。ただ、手術前の検査で慢性硬膜下血腫が発覚し、心臓の前に脳外科による手術を受けましたが、再び血液がたまり始めました。循環器内科の先生からは「いま心臓手術をすれば、合併症を起こすリスクが高い」と言われ、現在も経過観察中です。合併症のリスクを覚悟で手術をしたほうがいいでしょうか。(80歳・男性)


 硬膜下血腫は、頭蓋骨の下にある硬膜と脳の隙間に血液がたまって、徐々に血腫ができる疾患です。頭部外傷のほか加齢も大きな原因で、頭痛、嘔吐、麻痺、しびれなどの症状が出ます。

 大動脈弁閉鎖不全症は、心臓の弁がきちんと閉じなくなって血液の逆流や漏れが生じる疾患です。弁を交換する手術を行う際には、心臓を止めて人工心肺を回すため、「ヘパリン」という血液をサラサラにする薬を大量に使います。

 そのため、頭の中に血液がたまっている状態で手術を行えば、大出血を起こして脳に障害を与えるリスクが出てきます。術後にも、ちょっと頭をぶつけただけでも出血しやすい状況も起こりえますし、そうなったときにいまの血腫がどんな状態になるのか予想できません。

 やはり、いまは心臓手術を避け、まずは硬膜下血腫の状態が安定するのを待つのが最優先です。頭部CT検査などで、たまっている血液の量が変わらないまま安定しているといった状態が確認できるまでは、心臓のほうは丁寧に経過観察して様子をみることをおすすめします。

 そもそも大動脈弁閉鎖不全は、狭窄と違って突然死を招くような病気ではありません。また、質問をいただいた男性は、拡張期(最低)血圧が50mmHg前後ということですから、まだ完全な手術適応ゾーンに入っている状態ではないといえます。大動脈弁閉鎖不全は、「拡張期血圧が50前後で、頻繁に心不全を起こすようなら手術を考えた方がいい」とされています。頻繁に心不全を起こすのは、拡張期血圧が30~40、あるいは0まで下がってしまうようなもっと低いケースです。質問をいただいた男性は、すぐに手術しなければならない時期ではないと考えていいでしょう。

 また、現在は血圧降下剤を服用しているとのことなので、病状を進行させないような対策もできています。大動脈弁閉鎖不全は収縮期血圧が上がって拡張期血圧が下がる傾向があるのですが、いまはその血圧の上下幅を狭めるARB製剤などの薬もあります。そうした薬をうまく使えば、病状を進行させずに心臓の機能を落ちないように維持することも可能です。

 かつて、私も同じような患者さんを診た経験があります。当時90歳で、それから3年間ほど経過観察を続け、結局、手術はしませんでした。93歳でお亡くなりになりましたが、心臓が原因ではありませんでした。薬を服用できているうちは、脳に対するリスクを負ってまで心臓の手術をする必要はないといえます。

 しかし、腎機能が衰えて血圧降下剤が飲めない状況になったり、心臓の検査データから完全に手術適応の段階に入ったら、手術を考えることになります。その際は、脳神経外科と心臓外科がしっかり連携し、状態によっては、大量の血液が頭部にたまってしまう事態に備えて穿頭ドレナージを併用し、血液をすぐに排出できる状態にして心臓手術を行うことも検討しなければならないでしょう

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。