天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

高齢の認知症患者も手術できる


 初期の認知症を患っている83歳の老親が大動脈弁狭窄症と診断されました。少し動くと動悸や息切れがしてつらいようです。ただ、高齢なこともあり、手術をしたほうがいいのか迷っています……。(53歳・男性)


 医療機器や技術の進歩により、いまはたとえ90歳でも活動的な方なら手術は可能です。患者さんが自分で歩いて病院に来られる状態であれば、「手術はしない方がいい」というケースはまずありません。

 2012年のデータでは、当院で行った心臓血管手術のうち、80歳以上の患者さんが占める割合は12.5%です。狭心症、心筋梗塞、弁膜症などによって、日常生活が著しく制限されている。でも、高齢だから……という理由で手術を受けない選択をするのは、非常に残念に思います。

 しかし、高齢のため体力が衰えていたり、他の病気などで全身状態が悪かったり、手術後の補完的治療をすることが難しい場合は、手術を受けるのは好ましくないといえます。

 たとえば、認知症が進行している患者さんは、手術後に飲まなければいけない薬をきちんと服用できなかったり、リハビリに取り組むのが難しいケースがあります。そうなると、手術による体への侵襲を乗り切れない可能性や、術後の合併症で命を落とすリスクがあるのです。

 開胸しないカテーテル治療を受けた場合でも、冠動脈では血管内に植え込んだステント(金属製の筒)に血栓がこびりつくのを防ぐために、血を固まりにくくする抗血小板剤を一定期間飲み続けなければいけません。そうした治療後のケアができない患者さんは、いま受けている治療+できる範囲の緩和ケアを選択するほうがQOL(生活の質)が高くなるといえるでしょう。そのまま投薬治療をギリギリまで続け、日常生活を困難にしている症状を緩和させるだけでも、大きな効果があります。

 また、認知症が長期間に及ぶ患者さんはすでに全身が脆弱化していることが多く、全身麻酔が必要な手術はマイナスにしかなりません。人工心肺を使用する際に投与する薬剤も、悪影響を与えてしまいます。手術は避けたほうがいいでしょう。

 一方、初期の認知症でまだ体力があり、手術後のケアもしっかりできる状態の患者さんは、外科医の立場からは手術を行う価値は高いと考えます。いまは認知症初期と診断されれば進行を遅らせるだけでなく、思考・行動の両面で改善を促す治療も試行されています。つまり、手術することによって心臓の機能が回復すれば、その後はかかりつけ医のもとで認知症の管理を中心にケアすればいい状態になります。その分、QOLが高くなるといえるでしょう。

 開胸しないカテーテル治療を受けるという選択肢もありますが、その場合は薬を飲み続ける必要があるなど治療が長引きます。活動性が保たれている場合は思い切って手術をしたほうが、一時的な体への負担があってもQOLを高いレベルで維持できる可能性が高いといえます。

 当院でも、初期の認知症の患者さんを手術するケースは何度もありました。患者さんは「家族が同意してくれれば、自分は家族の選択に任せる」という方がほとんどです。患者さんの年齢を考えると、手術を受ける機会は1度だけでしょう。ご家族の方が納得いくまで医師としっかり相談し、より高いQOLが期待できる治療法を選択してください。

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。