天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

禁酒と腸内環境の改善で手術が楽に

 今年に入ってからずっと禁酒を続けています。それまでは、週に2度くらい、好きなワインをグラスに2~3杯、たしなむ程度には飲んでいました。最近はお酒の席に呼ばれる機会も減り、禁酒する下地が整っていたところに尿路結石が発覚したことで、きっぱりやめてみようと思い立ったのです。これまで、アルコールが入っているタイミングで救急の患者さんが運ばれてきたときは、部下に緊急の対応を任せていました。いまは自分が対応することが多くなりました。

 禁酒に加え、3カ月ほど前から腸内細菌のバランスをコントロールするためにビオフェルミンも飲み始めました。腸内環境を改善すると、さまざまな病気のリスクが軽減されたり、イラ立ちが抑えられ精神的にも安定すると、同僚医師に勧められたことがきっかけです。このところ、各方面で腸内細菌が大きくクローズアップされているのをみて、自分の判断は間違っていなかったなと思います。

 実際、これまでより肉体的にも精神的にも楽に手術ができるようになったと感じるので、禁酒と腸内環境改善の効果はそれなりに出ているといえるでしょう。これで、さらに質の高い手術を追求することができます。

 私は、自分に課している高いレベルの手術ができなくなったとき、心臓外科医をきっぱり辞めるつもりでいます。しかし、今も手術の技術は進化していると自負していますし、現役である限り、まだまだ手術の数と質にこだわっていきたいと考えています。

 40代の頃は、「心臓外科医がメスを持っていられるのは55歳ぐらいまでだろう」と、先輩外科医をみて思っていました。すでに55歳を越えてしまいましたが、それでも自分が思い描く通りの手術をすることができています。かつての自分の発言は間違っていた。気力と体力の衰えさえなければ、心臓外科医の“賞味期限”は年齢ではないと思えるようになりました。

 もちろん、年齢に応じた体力の衰えはポツポツと出てきてはいます。しかし、そうした衰えをカバーしてくれる機器との出合いや知識の積み重ねが、さらに自分を前進させてくれています。

 以前にもお話ししたように、42歳を越えたあたりから調節力の低下を自覚し、48歳から暗いと見えにくいという老眼の症状が表れましたが、多重焦点コンタクトレンズがその悩みから救ってくれました。

 ちょうどそれと同じくらいの時期、トイレが近くなりました。こらえ性がなくなるといえばいいのか、加齢による前立腺の変化が始まったのでしょう。

 手術は長いケースになると7~8時間連続で手術室に入ります。通常の場合、手術時は緊張しているため尿閉のような状態になり、排出しにくくなるのですが、どうしても尿意を我慢できない時は手術室を出てトイレに行きます。ただ、その際は手洗いや消毒など手術の準備を初めからすべてやり直すので、20分ほど余計に時間がかかってしまいます。

 退出している間は、自分がいなくてもできる処置をチームのスタッフに進めておいてもらいますが、仮に出血がひどくて手を離せない状況であれば、それは不可能です。頻繁にトイレに行きたくなるのは困りものです。

 しかし、いまは効果的な薬もありますし、体もその状態に慣れてきました。長時間の手術をする際は、前もって薬を飲んだり、手術前にトイレに行っておけば我慢できなくなることはありません。

 医療機器や医薬品の進歩、雑学も含めた知識や経験の蓄積が、自分の進化を支えてくれている。そう思っています。

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。