天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

インドではエコノミークラス症候群の手術が普及

 今年の2月、3泊5日の行程でインドにある病院の視察に行ってきました。日本の企業も含め、世界のIT企業が多く進出しているバンガロールを訪れ、低所得者向けの病院と富裕層向けの病院の両方を見てきました。

 これからの日本の医療にとって大きなヒントになることをいくつも発見できましたが、今回は、日本ではあまり行われていない「慢性肺動脈塞栓症」の手術について紹介します。エコノミークラス症候群(急性肺動脈塞栓症)が慢性化して、軽い運動でも酸欠症を来す疾患です。

 肺動脈は心臓の右心室から肺へ血液を送り出す動脈です。肺動脈塞栓症は、長時間、同じ姿勢を続けることで足や下腹部の静脈の血行が悪くなって血栓がつくられ(深部静脈血栓症)、その血栓が血流によって肺まで到達し、肺動脈の太い部分を塞いでしまうことで起こります。肺動脈が詰まると肺胞への血流が悪くなってガス交換ができなくなるために呼吸困難などを引き起こし、最悪の場合は命を落とすこともあります。

 突然、肺動脈が詰まる急性肺塞栓症の他に、詰まった部分を起点に徐々に太い肺動脈を閉塞していく慢性肺血栓塞栓症があり、インドでは後者の手術が数多く行われていました。

 バンガロールがあるインド南部は熱帯気候で暑いため脱水状態になりやすく、血栓ができやすい気候といえます。また、国土が広く移動に飛行機を使うケースも多いので、エコノミークラス症候群が起こりやすい環境です。そのため、手術による治療が普及しているのです。

 日本では、内科治療が一般的で、詰まった血栓を薬で溶かしたり、カテーテルを挿入して血栓を取り除くことが行われています。しかし、手術で血栓を除去する肺動脈血栓摘除術という外科治療を行えば、内科治療よりも患者さんの生活の質を向上させることができると考えています。

 エコノミークラス症候群は、働き盛りの30代から70代までの幅広い年齢層に見られる疾患です。

 仮に若い年代で慢性肺塞栓症の症状が出ると、心臓への負担も徐々に増していくため、内科治療だけでは長期にわたって“悪い状態”を引きずりながら生活しなければなりません。

 血管の壁にへばりついている血栓が大きくなって完全に詰まってしまわないように注意し続け、不整脈の発生など心臓のケアも同時に行う二重負担になる可能性があるのです。再発するリスクもありますし、ずっと薬を飲み続けなければならないケースもあります。

 しかし、手術で血栓を取り除き、肺と心臓の負担を減らしてあげると、患者さんは健康な人と同じような暮らしができるようになり、術後の生活の質は大幅に向上します。深部静脈血栓症を起こした足や下腹部から、再び肺まで血栓が流れるケースは多くありません。急性肺動脈塞栓症を起こしてから半年経過した後、再発防止を徹底したうえで手術をすれば、それほど不安を抱くこともなくなるのです。

 エコノミークラス症候群の手術は、日本ではまだ普及していません。私も急性肺塞栓症の患者さんを手術した経験はありますが、慢性肺塞栓症の手術は行ったことがありません。日本では患者数がそれほど多くないということでしょう。

 しかし、実は隠れた患者さんがたくさんいるとみられています。少し息切れがある、普通の人よりも疲れやすいといった症状がある人は、その疑いがあるといえます。

 いずれ、日本でも手術治療が一般的になるかもしれません。

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。