天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

「スーチャーレス弁」で安全な手術ができる

 心臓にある大動脈弁が開きにくくなって血液の流れが悪くなる大動脈弁狭窄症は、突然死の可能性がある深刻な疾患です。

 悪くなった弁を完全に治すには大動脈弁を人工弁に取り換える弁置換が必要で、外科手術の他に、近年は「TAVI」(経カテーテル大動脈弁留置術)が登場しました。胸を切開せずにカテーテルを使って人工弁を留置するので、体への負担が少ない治療法です。

 ただし、現時点では人工透析を受けている患者さんはTAVIの適応から除外されています。透析患者さんは高い確率で動脈硬化が進んでいるため、トラブルが起こる可能性が高いと判断されているのでしょう。

 このところ増えてきている糖尿病性腎症による透析患者さんは、足の血管がガチガチに石灰化していることも多く、大動脈弁の石灰化も早いため、一生の間に何らかの治療が必要になるケースが多い。それなのに、TAVIの適応から外れているため、手術しか選択肢がない状況です。

 しかし、その手術も多くの工夫が必要で、難易度もアップします。透析患者は人工心肺を使っている時間、手術にかかる時間が長くなればなるほど死亡率が上がってしまいます。できるだけ、人工心肺を使って心臓を止めている時間、手術全体の時間を短くしなければなりません。「命=時間」の典型的な患者さんなのです。

 そんな透析患者さんにとって、光明になるのが「スーチャーレス弁」による弁置換術です。現在、日本ではまだ認可されていませんが、今年の秋ぐらいにはスーチャーレス弁を使えるようになるとみられています。

 スーチャーレス弁というのは、牛などの心膜を人間に使えるように処理した生体弁に金属製のバネを取り付けたもので、バネの力を利用して心臓の弁がある箇所にはめ込みます。「スーチャーレス」=「縫合なし」で留置できるため、処置にかかる時間は25分程度で済むといわれています。

 これまでの手術では、ガチガチに硬くなった弁をハサミで丁寧に切り取り、弁があった箇所の石灰化した部分を削って取り除いた後、人工弁を留置して糸を何本もかけて縫合していました。人工心肺を使って心臓を止めている時間は、およそ50~60分ほどかかります。

 それがスーチャーレス弁を使えば、人工心肺を動かしている時間も手術全体の時間も半分に短縮できるのです。そのうえ、それが適合する人に関してはピタッとフィットして、弁の周辺からの血液の漏れも少ない。

 縫合する必要がないので、誰が行っても同じ時間しかかかりません。外科医の技量もそれほど問われなくなり、安全性も高まります。

 TAVIと違って、胸を切開して実際に心臓を見て処置するので、予期せぬトラブルが起こっても制御可能です。その分、安全性や合併症の発生率はTAVIよりも低い可能性もあります。現時点ではTAVIの適応から除外されている透析患者さんですが、より安全に手術を受けられるようになるのです。

 海外ではすでにスーチャーレス弁が使われていて、数多くの実績があります。私はまだスーチャーレス弁を使った手術はしたことがありませんが、日本でも認められることになれば、海外に視察にいって勉強したり、海外から経験のある医師に来てもらってトレーニングをするつもりです。

 食生活の欧米化や高齢化が進む日本では、これから大動脈弁狭窄症の患者さんが増えるのは間違いないでしょう。しっかり準備しておく必要があると考えています。

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。