天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

勝ち方にこだわる外科医が次代の医療を作る

 以前、棋士の羽生善治さんの著書「捨てる力」を読んで、プロフェッショナルとして尊敬する部分がたくさんありました。昨年の8月には対談する機会もあり、大いに共感しました。

 中でも、考えさせられたのが羽生さんの考え方の背景にある「敗北をどうプラスに変えていくか」という部分です。

 羽生さんほどの棋士でも勝率は7割3分で、4回に1回は負けています。常に「負けた勝負」と向き合い、失敗を分析し、肝心なところ以外は忘れることで、合理的に乗り越えていく。敗北から学ぶ経験を繰り返しながら、「次」を築いているのだと感じました。

 その点、われわれ外科医は敗北が許されません。敗北=死につながるからです。そのため、敗北から学ぶのではなく、「勝利=成功体験」の積み重ねから検証します。手術をした患者さんが、その後どう回復して、どんな時間を過ごしているのか。傷はきれいに治っているか……。そうした「勝ち方」にこだわり続けていかなければなりません。

 だから、「まあ、これぐらいでいいだろう」「もう十分満足だ」などと思ってしまった外科医は、そこで終わってしまいます。成功体験を繰り返しながら、常にもっと上を目指す外科医が次の医療をつくっていくのです。

 もちろん、私にも敗北はあります。30年前に心臓外科医になって以来、これまで7000例近い手術を行い、いまも年間500件近く手術を執刀しますが、残念ながら、あってはならない予定手術での患者さんの死亡率は0・2%ほど。500回に1回程度は負けている計算です。手術自体の問題ではなく、脳梗塞などの合併症を起こして亡くなってしまうケースもあります。

 この1年でも、失った患者さんが2人いました。患者さんの負担を減らすために、私がモットーにしている「はやい、安い、うまい」のバランスが崩れてしまった。「はやい」だけに偏ってしまったり、「うまい」だけに向かってしまったとき、そうした失敗が起こってしまうことを痛感させられました。もし、同じ失敗を繰り返すようなことがあれば、その時は外科医を辞めようと考えています。

 外科医は敗北を経験しても、それをずっと引きずっているわけにはいきません。すぐに次の手術に臨まなければならないからです。私はまず「なぜそうなったのか」を反省し、同時に「そうならないようにするにはどうすべきだったのか」と、改善のための課題を前に投げます。ひたすら前進することで新しい展開が見えてくる。そして、不成功体験が成功体験に変わった時に大きく成長できるのです。

 私もまだ成長し続けています。昔はこだわっていた「ゲン担ぎ」も、しばらく前からやめました。かつては、難しい手術に臨むときは同じ縦じまの下着をはいていました。学生時代にテニスをやっていた頃、その縦じまの下着をはくと不思議と勝てた経験があったからです。

 しかしある時、それに執着している自分がバカバカしくなりました。物はいつか必ず傷んできます。いずれどこかで捨てることになる。そうなったら、今度はそれに代わる物を探すことになります。それなら、別に「その物」でなくてもいいんじゃないかと思ったのです。

 よく「この音楽をかけていると手術がうまくいく」と、手術中に音楽を流している外科医もいますが、私は音楽もまったく流しません。研鑚と経験を積み重ねていくにしたがって、何かに執着するということは一切なくなりました。自分で明確な「型」を身につけ、何に対しても迷う必要がなくなった。50代になった頃からそう感じています。

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。