天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

プロフェッショナルなら正確無比は当たり前

 今回は少しだけ私自身の話をしたいと思います。

 これまで、心臓外科医として6500例を超える手術を行ってきました。いまも1日4件の手術をすることがあります。外科医にとって数多くの手術を経験することは重要で、手術の腕は手がけた数に比例するといっていいでしょう。

「これだけ手術数をこなせば、もう成長はない」という人もいますが、私はそうは思いません。まだまだ成長できると考えていますし、常に「理想的な完成度」をひたすら追い求めています。

 そのための練習も欠かしません。外科医になった30年前から、爪を切る時は爪切りではなくハサミを使っています。左右どちらの手でも正確にハサミを使えるように、左手の爪は右手、右手の爪は左手で切ります。それも、指先のカーブに合わせてキレイに1回で切る。さらに、切りたいところを切り、止めたいところで止めるというトレーニングも続けています。

 プロフェッショナルならば「正確無比」は当たり前です。患者さんと対峙したら、体が自然に反応するぐらいにならなければいけません。それには、ひたすら経験を得て、繰り返し繰り返し同じ訓練を積んでいくしかない。自分の中で、「これはダメだ」とか「これ以上やっても……」といった気持ちを持っては絶対にいけないのです。

 ゴルフの試合を見ていると、プロでもドライバーを曲げる選手がたくさんいます。しかし、自分が手術をしているとき、「あ、ドライバーが曲がったな」と思うような瞬間はまずありません。私からすると、プロゴルファーの多くは、まだまだ練習が足りないのだと思います。

 私は、手術記録を部下には任せず、自分で書くようにしています。プロである以上、手術のポイントになる良い部分、悪い部分を文章と画像ですべて頭の中に入れておきたいからです。

 頭の中にインプットしておけば、手術をしている最中、「あ、ここから先をこう進めてしまったら、絶対に以前と同じこういうシーンに出くわすな」と瞬時に画像が浮かび上がり、頭で考えるより先に指をはじめとした体全体が反応します。

 それまで一気にバーッと進めていた手術でも、血管に針を通したとき、「ああ、これは急いではいけないところだな。時間をかけてしっかりやらなければいけない」と察知して、その時点から自然とほふく前進のようにじっくり進む瞬間があるのです。これは、食事をするのと同じように自分の体に染みついています。

 これまで行ってきた満足度の高い手術をやり遂げた場面も、まるでスナップ写真のように頭の中に整理されています。その写真はどんな状態にでも浮かび上がらせることが可能で、3Dの立体的な画像として再生したり、心臓の血管部分だけを超ズームにしたり、必要のない部分をぼかして頭に描くこともできます。

 経験を積み重ね、そうしたイメージをどれだけ数多く持てるかが、外科医の勝負どころです。頭の中にたくさんストックされていれば、手術中に起こる不測の事態でも確信を持って乗り切ることができるのです。

 さらに、ここ数年は、手術数とは別の次元で自分が成長できていることを感じます。たとえば血管をつなぐとき、「しっかり堅固に縫う」ところから、あえて「緩くフワッと縫う」ことができるようになりました。しなやかさを残して縫合することが良好な予後につながる場合もあり、それが見えるようになってきました。成長にゴールはないのです。

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。