天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

時間の巻き戻しに挑戦 大阪大の心筋再生治療

 今年6月、大阪大学の澤芳樹教授のチームが、心筋シートを使った再生医療の手術を行いました。心臓が肥大化して心機能が低下する拡張型心筋症を患っている11歳の女児の足の筋肉から骨格筋芽細胞を取り出し、シート状に培養して心臓に張り付ける治療です。

 その患者さんはこのままでは心臓移植が必要になるとみられていましたが、心筋シートによって心臓の筋肉が再生されれば移植は必要なくなります。素晴らしい治療だと思います。

 近い将来、この心筋再生治療が実用化されて一般的になったとしても、心臓移植手術自体はなくならないでしょう。心臓と肺の同時移植が必要になる患者さんもいますし、生まれつき心臓の一部のパーツが未熟な患者さんの場合、心臓全体を取り換えた方が早いというケースもあります。

 しかし、心臓移植が必要になる患者さんの多くは心臓の筋肉の不全によるものです。そうした患者さんに対し、年齢や国籍を選ばずに治療ができるようになるのですから、多くの患者さんの役に立つ治療になるのは間違いありません。

 今回の心筋再生治療が素晴らしい点はまだあります。心臓の筋肉を再生させるために「骨格筋芽細胞」を使ったところです。

 再生医療に利用される細胞には、ほかに「iPS細胞」があります。しかし、骨格筋芽細胞とiPS細胞には大きな違いがあるのです。iPS細胞は「未分化細胞」、骨格筋芽細胞は「高分化細胞」という違いです。

 細胞というものは分化をどんどん繰り返して、ある特定の機能を持つようになります。未分化細胞はまだ分化していない細胞なので、心臓や胃腸など体のどんな器官にもなることができるのです。一方、高分化細胞である骨格筋芽細胞はすでに骨格筋になっている細胞なので、筋肉にしかなりません。

 普通の研究者なら、どんな細胞にも変わることができる未分化細胞を重視する人が多いでしょう。仮に心臓で考えた場合、筋肉だけでなく弁や血管などをつくり出すことも可能になるわけですから、未分化細胞に魅力を感じるはずです。しかし、澤教授は高分化細胞である骨格筋芽細胞を選択した。ここがすごいところです。

 実は、未分化細胞には大きな欠点があります。がん化したときの悪性度がはるかに高いのです。臓器ががんに侵されたとき、「未分化型」と診断されたらほとんど助からないと考えてもいい。逆に「高分化型」のがんは治るケースが少なくありません。つまり、心臓の筋肉や弁などを再生させるために未分化細胞を利用した場合、すべてが高度に悪性化してしまう可能性もあるのです。

 そもそも心臓というものは、弁が壊れていても、血管がボロボロでも、筋肉の機能さえ残っていれば、生きることができます。そんな心臓にとって何より大切な筋肉という機能をつくり出すために、あくまで筋肉のもととなる骨格筋芽細胞を選択した。素晴らしい発想だと思います。私が勤めている順天堂大も、今回の心筋再生医療の実用化に協力したいと考えていて、私も参加を後押ししています。

 循環器医療に携わっている医師にとって、「心臓をよみがえらせる」というのは、ひとつの大きなテーマです。心臓というものは生きている間は休まず鼓動を続け、鼓動が終わった時点で死を迎える。へばった心臓が弱っていく流れは止めることができないといわれています。心筋再生治療はそんな心臓の「時間を巻き戻そう」という試みなのです。

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。