天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

左心耳縫縮術が脳梗塞を防ぐ

 2年前、狭心症を患っておられた天皇陛下の「冠動脈バイパス手術」に携わらせていただいた時、心臓を動かしたままの状態で行う「オフポンプ手術」を選択したことは、先週お話ししました。

 その際、実はもうひとつ「左心耳縫縮術」という手術を受けていただきました。心臓の左心房の上部にある左心耳という袋状の突起物を糸で縫い縮め、血液の行き来をなくしてしまう手術です。これを行えば、術後に脳梗塞を起こすリスクを格段に減らすことができます。

 脳梗塞には、心原性脳梗塞というものがあります。心臓の中にできた血栓が移動して脳血管をふさいでしまうことで起こり、その血栓は75~90%が左心耳で形成されることがわかっています。左心耳縫縮術さえ行えば、それを防げるのです。

 さらに、手術中に心房細動を起こす可能性も予測できました。心臓が細かく不規則に1分間に250回以上も収縮を繰り返すもので、これが起こると左心耳内で血流がよどみ、血栓ができやすくなります。普段は不整脈がなくても、高齢になるだけで発症する人もいます。

 また、術後に心房細動による脳梗塞を防ぐには、血液をサラサラにする抗凝固剤を飲むしか方法がありません。しかし、人工的に血を止まりにくくする薬は、何かアクシデントがあった時に重篤な状態になってしまうリスクが高い。手術を受けた後、抗凝固剤を飲んでいた患者さんが転倒し、脳出血を起こして植物状態になってしまったケースもあります。

 そうした心配を取り除いていただきたいという思いから、当時、78歳とご高齢だった陛下に左心耳縫縮術を受けていただいたのです。実際、手術中に心房細動が起こりましたが、万全の準備を整えていたおかげでスムーズに処置を行うことができました。これによって、心臓の血栓が原因で脳梗塞を起こす可能性はほぼなくなったと自信を持っています。

 心臓手術がどんなに完璧でも、術後に脳梗塞を起こす患者さんは少なくありません。しかし、同時に左心耳縫縮術を行っておけば、かなりの割合で脳梗塞の心配を取り除けるのです。われわれが取っているデータでも「脳梗塞のリスクが高い人に対しては、左心耳縫縮術によって脳梗塞をほぼパーフェクトに防げる」ことがわかっています。近いうちに海外の学会で発表する予定です。

 陛下の手術を行った当時、左心耳縫縮術は他では行われていませんでした。まだエビデンス(科学的根拠)がありませんでしたし、多くの医師が「余計なリスクを背負ってまで行う必要はない」と二の足を踏んでいたのです。

 しかし、それほど難しい手術ではないですし、私には術後の脳梗塞を抑えられるという確信がありました。25年ほど前に登場したメイズ手術を見ても、左心耳を切っても問題ないということはわかっていました。そこで、われわれが手がける冠動脈バイパス手術ではすべて左心耳縫縮術を行い、予後も良好であるというデータを積み重ねてきました。

 陛下の手術以降、われわれはすべての心臓手術を受ける患者さんに対し、左心耳縫縮術を行っています。1年ほど前、陛下と同じ時期に冠動脈バイパス手術と左心耳縫縮術を行った50代の患者さんの再手術をしました。その際、心臓の中を確認してみたところ、跡形もなく治っていて、自分の手術は正しかったと改めて心強く思いました。

 われわれは、いまも少しずつ前進しています。だれもが陛下よりさらに進んだ手術を受けることができるのです。

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。