独白 愉快な“病人”たち

評論家 樋口恵子さん(82) 胸腹部大動脈瘤感染症

樋口恵子さん
樋口恵子さん(C)日刊ゲンダイ

 75歳の春、腹部に膨満感を感じたのが始まりでした。腹部全体に痛みがあり、最初は便秘からくる膨満感かと思ったけれど、どうも今まで経験した胃腸の痛みとも異なる。近所の開業医に診てもらっても、様子見という診断だったので、変わらず講演会で全国を飛び回っていました。

 ゴールデンウイークの2日前、医者をしている娘に腹部の痛みは増悪しているのかと問われ、前より痛みが増していると話すと「明後日から日本中の医者がいなくなるから調べるのなら今のうち」と言われ、夜間診療を受診しました。

 血液検査で白血球数が増え、炎症反応が出ている。MRI検査へと進み、胸部に30ミリから2センチの大動脈瘤が4個あり、胸腹部大動脈瘤感染症だと判明しました。動脈瘤が炎症を起こしていたから痛みがあったのは不幸中の幸い。なければそのまま破裂して一巻の終わりということもあるそうです。

 即手術となり、対応可能な病院に救急車で転院。動脈瘤を3カ所切除し、人工血管に入れ替える手術をしました。心臓を一度取り出して手術するものだから、胸の中心からあばらに向けて直角、そのまま背中まで輪切りにメスを入れ、肋骨も切りました。といっても、手術自体は麻酔が効いているから、手術に4時間半かかったといってもどうということもない。

 問題は麻酔が切れてから。呼吸器などを通すために喉に入れられた大きな管を抜く「抜管」は死ぬかと思った。切り開いた傷の長さは手術中でも一番長いそうで、術後1週間は死ぬか生きるかの痛みでした。

 そこへ、鬼のリハビリです。ICUにいたのは8時間。すぐ自分の部屋に戻され、いきなり介護士が体重を量るから起きろと言う。その時はこんなに痛いのに鬼だと思いましたよ。私の入院した病院は中年男性患者が多く、社会復帰に重きを置いていたこともあり、リハビリがかなりハード。翌日からは、青竹でひっぱたかれんばかりにたたき起こされ、ナースステーション1周の歩きを1日3回。10日後にはリハビリルームでの自転車こぎも加わった。

 その時は本当につらかったけれど、おかげで24日後の退院時は、なんとか自力で歩けるまでに。退院後は半年間介護保険の要支援1レベルの認定を受け、デイサービス型リハビリを週2回。肋骨はつながっていないようで、今でもゴロン、ボキンと音を立てますが、それでも動くことに問題なく、リハビリの重要性を実感しました。

 病気を誘引したのは我が家の食生活。戦後のひもじさを経験しているせいで、夫婦して好きなものを好きなだけ食べるのが最上の趣味。1食に5皿も6皿も並べて食べるのが常で、バランスは良いけれど量は1・5倍。娘に注意されても「死んで持っていけるものは経験と食べた物だけだ」と言い返していました。

 気づくのが遅いけれども、悔い(食い)改めるきっかけになりました。 手術で小食になり体重が7キロ減、変形性膝関節症によるひざの痛みも軽減、リハビリをきっかけに運動の楽しさを初めて知ることができたのはよかったと思います。

 術後、年賀状に「部品交換、新品同様」と書いたら、「こんなに萎える年賀状はない」って笑われました。

▽ひぐち・けいこ 1932年東京都生まれ。新聞記者、編集者を経て評論家に。東京家政大学名誉教授、NPO法人高齢社会をよくする女性の会理事長。著書に「大介護時代を生きる」(中央法規出版)、「老い方上手」(WAVE出版)がある。