独白 愉快な“病人”たち

演歌歌手 原田悠里さん(60) 食いしばり由来の難聴

原田悠里さん
原田悠里さん(C)日刊ゲンダイ

「ちゃんと音程取れてる?」

 レコーディングの最中、周囲に確認するようになったのは、2001年の秋のことです。

 左奥歯の激しい痛みに悩まされ、次第に左耳からきれいな鈴の音がする。

「あれ、こんな鈴の音、私の曲に入っていたかしら?」

 そう思いながらレコーディングを続けてたのですが、そのうち寝ていても鈴の音がするようになり、これはおかしいと気が付いた。

 当時、3年連続でNHK紅白に出場でき、飛躍的に仕事が増え、全国を飛び回る日々。ストレスと過労でポリープができたり、歯茎が腫れたり、50歳を手前にストレスと過労であちこち……。その場しのぎで手当てしてもらって、また地方に飛ぶような生活でした。

 左耳はますます悪化し、突発性難聴で耳栓をしたかのように自分の声がこもって聞こえてくる。処方された薬を飲むとめまいを起こし、服用し続けることができない。プロとして、ちゃんと音を取れているのか、精神的にも不安になる。この業界ではストレスからくる突発性難聴は身近な話です。自分も全く聞こえなくなってステージに立てなくなるんじゃないか、と半年ぐらい不安を抱えて過ごしていました。

 そんな時、歯茎の腫れの治療で飛び込んだのが、田町の長坂歯科です。今は噛み合わせの名医で有名ですが、たまたま駅の近くにあったので、歯茎の腫れを治してもらうために受診したのです。

 長坂先生は歯の診察もせず、いきなり大きなヘッドホンを着用するように指示し、聴力検査を始めた。こちらは歯を治したいのに、「一体何をするんだろう」と。

 難聴と左右の聴力のバランスの悪さを指摘され、先生はその場で右側でグッと噛むように指導されました。ほんの数分で顎から耳の辺りが緩み、口の開け閉めがフワッと軽くなった。この時、自分に必要な治療をしてくれるのはこの先生だ、と思いました。

 難聴の原因は左側だけを噛み続ける「食いしばり」。思い返すと、仕事が増えてうれしい半面、忙しさと自分を求めてくれるお客さんに少しでもいいステージを届けようと思うプレッシャーから、体は緊張状態が続いたままでした。それで、無意識に食いしばりをしていたんです。

 当時、撮影した写真は左頬ばかり。食いしばっている左側はシャープで、アゴのちょうつがいの部分にボコッと骨が飛び出ていました。逆に、右側はふっくら、やや二重あごになっていた。カメラマンさんが撮る私は、左頬がベストだったんですよね。

 治療法は、歯科的治療と生活指導。右奥歯に虫歯や歯周病があるから、右側では噛めず、左奥歯にだけ頼っていたのです。そこで、右奥歯を中心に虫歯と歯周病治療をし、両側の奥歯で噛めるようにしました。

 あとは、噛み合わせを治すため日常生活で左右同じように噛むように指導を受けただけ。マウスピースもしませんでした。通院し始めて1カ月すると聴力が戻り、左右のバランスも整ってきた。手ごたえを感じられるようになり、半年後には耳のことを忘れるほどに。

 今まで大病したこともなく、体にメスを入れたことがないので、難聴の始まりも気づきやすかったと思います。自分を常にゼロベースに置いていないと異常に気付かない。

 そう思ってここ5年は、月8回のジム通いを自分に課し、体力維持とともに、体の声が聴けるようにしています。今ではアスリートのように、腕や足の小さな筋肉だけを意識して動かせるようになってきています。おかげさまで、右側の頬も自信を持ってお見せできますよ。

▽はらだ・ゆり 1954年熊本県生まれ。鹿児島大学卒業後、2年間、神奈川県で音楽の先生として勤務したのち、北島三郎に師事。99年から3年連続でNHK紅白に出場。新曲「涙しぐれ/運命の人」(キングレコード)を発売中。