独白 愉快な“病人”たち

料理研究家 宮成なみさん(38) 結節性動脈周囲炎

宮成なみさん
宮成なみさん(C)日刊ゲンダイ

「健康」を失ったのは16歳、高1の冬でした。マラソン大会翌日に血尿が出て、風邪だろうと思っていたら、1週間で5キロもガクンとやせた。それで母が「これは風邪じゃない」と気づき、再検査をしたら腎不全で緊急入院。トイレ以外は動くことも禁止されたんです。

 思い起こせば、高1の春から健康診断の時に血尿で再検査になったり、真夏にキャンプに行っても寒くて水遊びができなかったり、冬は極端に寒がっていたり、若いのに腰痛だったり……と、それなりに予兆はあったんですよね。でも、血尿の時も、医師に思春期で体調が不安定なのだろうと言われる程度で。

 血管は成長するにつれて、元からあるものがゴムのように伸びて体に対応していくものなのですが、私の血管は極端に細く、病気が原因で腎不全を起こしていたんです。

 ただ、入院しても、すぐには原因が解明されず処置なしで寝たきり。1カ月半後、病名が判明。全国に250人しか患者がいない珍しい病気で、両親には医師から「3カ月後に人工透析は免れない。発病から5年以内に8割が亡くなる。25歳までは生きられないかも」と告げられていました。

 食事は、極端に塩分、カリウム、タンパク質を減らした食事に変わり、血管に負担をかけないよう体重も減らすことになりました。子供茶碗に1膳、卵の白身フライ、ゆでキャベツ。生野菜はカリウムが多いので禁止。カリウム除去のためにゆでて水にさらしたキャベツは、青臭さだけが残りまずかった。

 制限食で、2~3日に1キロずつ体重が減っていき、目が落ちくぼみ、164センチで58キロあった体重が最終的には38キロに。1カ月で激やせ、体が飢餓状態を察知して、内臓を守るスイッチが入り、突然お腹だけがポコッと膨らんで餓鬼のような体形になりました。

 肌は、カサカサからガサガサに。「食事」は「餌」と書くのが適当なほど、味気ない。母は、何人もの栄養士さんを訪ね、毎日のご飯日記から相性の合う食材・調理法を見つけ、食べられるものを増やしていきました。キャベツも千切りにして長時間水にさらすことで食べることができるようになり、社会復帰は無理と言われていた私が、高校、専門学校を卒業し、地元で就職できるまでになりました。

 そんな中で気づいたのは食の重要性。食材の持つエネルギーを体内に取り入れることがどんなに必要かが身に染みてわかった。単に栄養管理された食事だけでは、今の肌や健康は取り戻せなかったと思うんです。母が知恵を絞って私に食べさせてくれたのは、肉じゃが、手羽先の煮物などごく普通のもの。

 食に関する仕事に就きたいと福岡の田舎町から博多で一人暮らしを始め、友達に料理を振る舞っているうちに、家で教えるようになり、西日本新聞のレシピ投稿をきっかけに、シンポジウムのパネリストで呼んでいただき、料理研究家への道が開けました。

 今は自分の経験を生かし、スーパーで売っている調味料で体質改善できる料理講座や、女の子が愛する人に作って喜んでもらえる料理を提案、食事指導しています。

 8年前に自分の腎臓だけではまかなえなくなり、人工透析になりましたが、東京と九州を拠点に活動していますし、以前よりも元気になりましたよ。

▽みやなり・なみ 1976年福岡県生まれ。16歳の時に結節性動脈周囲炎を発病。7年半の食事療法で社会復帰。OL生活を経て料理研究家に。一般社団法人料理研究家協会代表理事。著書に「オトコをトリコにするメロメロレシピ」(西日本新聞社)などがある。