独白 愉快な“病人”たち

クリエーター 高橋晋平さん(35) 頚肩腕症候群

高橋晋平さん
高橋晋平さん(C)日刊ゲンダイ

 28歳の時、両手が動かなくなり、会社を長期で休むことになったのがこの病気に気づいた瞬間でした。

 腕のだるさが始まったのは、入社2年目の25歳のころ。手が痛いと思いつつ、仕事に、ゲームに、ブログ。イラストレーターやフォトショップの使い始めで慣れないせいもあり、週末になるとパソコンのマウスを持つ右手首に痛みが出ました。

 整形外科に行っても、レントゲンではわからないし、治療は赤外線を当て、安静にするぐらいしかなかった。

 1~2年経つと、マウスを持つ右手が1~2時間でどうにもならなくなり、左手でマウスを使うようになって、さらには両方とも痛くなっていました。

 そして2008年5月、両腕が動かなくなり、会社を休まざるをえないほどに。指がしびれて力が入らない、ペットボトルのフタを開けることすらしんどい。これは異常事態だと気づき、「脱力」「痛い」をキーワードに専門病院を調べ、新小岩にあるクリニックを受診しました。そこで初めて、「頚肩腕症候群」と診断されたんです。

 その前年にプチプチ潰しを永遠に体験できる「∞(むげん)プチプチ」を開発。環境にも恵まれ、商品が爆発的にヒットし、仕事が楽しくて仕方がなかった。そのせいで体の悲鳴に気づきもしなかったんだと思います。

 医師からは、まず休養を言い渡されました。会社を休んで2~3日過ぎると今まで体にたまったものがどっと毒出しを始めた。首、背中、胸、上半身全部が痛くなり、眠れない、起き上がることもできない。1週間すると下半身、股関節が痛くなり、家では這って歩くほど。駅は手すりをつかまりながら、階段は上れずエレベーターを探してやっと歩くレベル。この時初めて手すりの重要性に気がつきました。

 4カ月はうさんくさい治療院など、いろんな病院を探して自力で頑張ったものの、起きることすらしんどい状況で一人暮らしにも困難をきたし、実家に戻り、3カ月寝たきりになりました。仕事に戻りたい。親も心配させてしまい、精神的に追い詰められました。

 そんな時、たまたま相性のいい鍼の先生に出会いました。鍼に通いながら、ストレッチをしたり、歩く練習をして、1年半後にやっと復職できました。

 頚肩腕症候群が気づかせてくれたものは、健康をおろそかにしてはいけないことだけではありませんでした。病気になったらひとりでは耐えられないと思うようになり、結婚を考えるようになりました。

 それで初めて婚活パーティーに申し込み、その時出会った妻と結婚しました。ある意味ビギナーズラックですね。偶然にも妻は鍼灸師。僕自身が鍼のおかげで病気が治ったこともあり、職業としてまず好感があった。話をしたら意気投合、結婚の意思があって集まった者同士なので話もすぐまとまり、会って半年で結婚。翌年に娘が生まれました。

 あの時、寝たきりを経験しなかったら、そのままワーカホリックで突き進み、家族を持つこともなかったかもしれません。今は同じ症状を繰り返さないように毎朝ラジオ体操をし、週に1回はスポーツクラブで泳いで体をほぐすようにしています。

 そして、仕事と家庭、それに健康を考えつつ、自分の好きな企画の分野を究めようと今年の10月に起業しました。みなさんが企画することを楽しめるお手伝いをさせていただくことで、幸せを分かち合えるようになるのが僕の目標です。

▽たかはし・しんぺい 1979年、秋田県生まれ。2004年バンダイに入社し、05年「瞬間決着ゲームシンペイ」、07年に緩衝材のプチプチ潰しをエンドレスに体験できる「∞(むげん)プチプチ」を開発。同商品は国内外累計335万個を販売、第1回日本おもちゃ大賞を受賞。14年10月に企画力を育む研修や商品企画に取り組む「アイデア・コークリエイター」として独立。