独白 愉快な“病人”たち

タレント 清水国明さん(64) 十二指腸がん

清水国明さん
清水国明さん(C)日刊ゲンダイ

 5年前、59歳のときです。知り合いがセレブ向けの人間ドックをオープンさせたというので、試しに受けさせてもらいましてね。たまたま、十二指腸にがんが見つかったんです。

 痛みなど自覚症状はまったくなかった。30~40代はバイクで毎年骨折、全身麻酔を9回もしましたが、この19年は健康診断なんて考えたこともなかったですしね。腹腔鏡手術で腫瘍を取ってみたら、がん細胞がプチプチいたので、2カ月後に十二指腸と膵臓、胃の一部を切り取り、小腸を引っ張り出してつなぐことになりました。

 手術で5年後の生存率は50%。人によっては難儀な手術だと思うかも知れませんが、僕は5年後が半々なら、普通に生きていても変わらへん、ラッキーやなと思った。その頃、一番下の息子が1歳。この子を父親ナシにはできないし、海、山、魚釣りとまだまだ教えなきゃいけないことがある。「じゃあ生きたろか」と手術に踏み切った。

 そこで、僕は退院予定に合わせ、自分の好きなことをスケジュールに入れた。森本毅郎さんや笑瓶さんとゴルフ。鈴鹿サーキットを借り切って「全快記念・アクセル全開走行」ツーリング。琵琶湖でボートをチャーターしてバス釣り。それから、セックスも。手術してセックスできなくなるんなら、意味がない。いいホテルを予約してね。これを全部、退院後の1カ月以内に詰め込んだ。

 大変な手術だったと気づいたのは麻酔が切れてから。痛み止めの点滴を5分おきに入れるほど痛みがひどい。それでも先の楽しい予定を詰めているから、翌日から病院の中をヨボヨボでも歩いた。

 がんの原因はお金のストレスでした。当時、河口湖にキャンプ場を始め、従業員40人に給料を払うために資金繰りに奔走する日々で。そうやって、明日のことを考え、自分の足音に怯えて生きていたんですよね。がんから学んだのは、「恐れで生きるのでなく、楽しく生きなければいけない」ということでしたよ。

 3週間ちょっとでテレビにも復帰、予定した楽しいことは全てクリアしました。イタタって言いながらゴルフをしたら、普段スコア40切ったこともないのに、なんと39とめちゃめちゃ調子よかった。ライダースーツの中に膵液のパックを入れ、途中、膵液を捨てながら全開走行も完走、そしてセックスも完走!

 キャンプ場は、従業員が4人に減ったら、逆に顧客満足度が上がってV字回復。過剰サービスだったことに気がついた。

 抗がん剤治療はせず、薬も最初の1カ月しか飲まなかった。胃液が出るのを薬で止めるって、必要があって出ているのにおかしいと思ってね。薬をやめて1週間は、おなかが緩くなったり、トイレが近いことはありましたけど、問題なかった。それより楽しいことをしているほうが治りもいいです。

 今、5年経ち、がんも寛解。今日も山口県のありが島から日刊現代編集部のある築地まで937キロ、自分で車を運転してきました。この後、教育委員の仕事で所沢へ向かいます。主治医の先生が、医者の言うことをちゃんと聞くマジメな患者が具合悪くて、むちゃくちゃなことをしている僕が元気でいるのが悔しいって笑うんですよ。

▽しみず・くにあき 1950年、福井県生まれ。73年に「あのねのね」でデビュー。TBSの「噂の!東京マガジン」は89年の放送開始からレギュラー。国際A級ロードレースライダー、アウトドア愛好家としてキャンプ場などを経営。今年から埼玉県所沢市の教育委員を務める。