独白 愉快な“病人”たち

元衆院議員 与謝野馨さん(76) 下咽頭がん ㊤

与謝野馨さん
与謝野馨さん(C)日刊ゲンダイ

下咽頭がんを公表したのは2年前。4回目の手術で声を失うことになった時でした。主治医の国立がんセンター名誉総長、垣添忠生先生に「声が出なくなるので、もう隠さなくていいです」と申し出たのです。

 39歳から4つのがんと付き合い、再発を繰り返しながらも、医師の方々のサポートのおかげで実に33年、がんを隠し通して、政治家として活動してきました。

 最初のがんは初当選から10カ月後。議員になり個人的なかかりつけ医をお願いしてすぐのことでした。足の付け根が腫れ、ゴリゴリした“しこり”が見つかり、さまざまな抗生物質を飲んでも変わらないので精密検査をしたら、血液のがん(悪性リンパ腫)が見つかった。余命2年。今と違い、当時は「がん=死」だと思われていた時代でした。でも、病気を公表したら政治生命に関わる。ましてや「がん」なんて絶対口にできない状況でした。

 国会の合間に抗がん剤治療。バレないように通院時の名前は偽名、治療費はすべて自費。当時は健康保険で1割のところを全額だから、治療費もかなりかかりましたね。

 副作用で握力がなくなり、ゴルフ場でクラブを飛ばすこともありました。食事は、仕事柄ほぼ会食。妻にも言わなかったので、家の食生活も変えなかった。その後のがんの時も今も、食は変えてはいません。年のせいで食べる量はやや減りましたが、食が細ると意志も弱る。強い意志を持つために食はしっかり取るようにしています。がんのことを鬱々と考える暇なんてありませんでした。

 その後、49歳で悪性リンパ腫が再発した時は、抗がん剤治療でひどい吐き気に襲われたこともありました。治療前に30万円以上もするカツラを作らされたけど、自分では「治療をしても毛も抜けない」と過信していた。すると3週間後に突然毛が抜けてね。カツラのお世話にもなった。

 以来、62歳で直腸がん、63歳で前立腺がん、68歳で下咽頭がんとがん続き。抗がん剤治療、放射線治療、ホルモン療法……。がん治療と副作用はかなり体験していると思いますね。

 そんながん治療の中でも一番つらかったのは、麻生内閣で財務大臣を務めていた2009年ごろ。前立腺がん治療の後遺症で、尿管が詰まる膀胱炎。膀胱の内壁が傷ついて出血し、血がゲル状になってはがれ落ち、尿管を詰まらせる。尿で押し出せないと、2~3時間で七転八倒の苦しみがやってくる。緊急で病院に駆け込み、尿管に管を通して医師に詰まりを取ってもらわないといけない。財務大臣としてG20でイギリスに行った時は麻生総理にお願いして、医師を同行させてもらうほどでした。

 膀胱の出血を止める手術をした翌日、脊髄に術後の麻酔の入った袋を背負って選挙初日の街頭演説で倒れ、「脱水症状を起こした」とごまかしたこともありました。

 がんという病気の特質は「だらだら続く」こと。10年超えて生きている人が山ほどいる。4つのがんと闘っても立っていられる。自分の人生を振り返り、やり残したこと、やらなきゃいけないことをちゃんと伝える時間があるのはメリットだと思います。私からすれば、脳梗塞のように瞬間的に逝ってしまうことこそ「最悪の病気」。そう考えると、がんも悪くはないと思うのです。

▽よさの・かおる 1938年東京都生まれ。中曽根康弘氏の秘書を経て76年衆議院議員に初当選。2010年に自民党を離党し「たちあがれ日本」を結党。11年、菅再改造内閣で経済財政担当大臣就任。12年下咽頭がん再発による声帯切除で、気管食道シャント法で声を再建した。