独白 愉快な“病人”たち

漫画家 まつもと泉(55)さん 脳脊髄液減少症 ㊦

まつもと泉さん
まつもと泉さん(C)日刊ゲンダイ

〈前回の内容〉
 1999年、原因不明の不定愁訴に襲われる。以来5年、あちこちの病院に行っても原因が分からず、引きこもり状態に。

 脳脊髄液減少症という病名が判明したのは、2004年、45歳の時でした。姉が新聞の記事を持ってきたのです。私はネットで脳脊髄液減少症患者のためのNPOを見つけ、赤坂の山王病院を紹介してもらいました。

 ここで治療を受け始め、脳脊髄液減少症の原因が、3歳の時のひき逃げ事故にあることが分かりました。交通事故の経験はないかと聞かれ、思い出したのです。

 あれはちょうど春の花見シーズン。父と実家の向かいにある公園に花見に行った帰り、信号機のない横断歩道を渡る時、子供用の横断旗を持って歩いていたのにもかかわらず、自動車によるひき逃げに遭ったのです。

 親も楽観視して、知り合いの泌尿器科に1、2週間入院しただけ。事故で右側頭部を強打し、右耳は難聴、物心ついたときから虚弱体質。低学年のころは急に不眠に襲われることもありましたが、それも脳脊髄液減少症のせいだったのかもしれません。

 治療はブラッドパッチ治療法といって、髄液の漏れている箇所(脊髄硬膜外)に自分の血液を注入し、炎症反応を起こさせて体に修復させるものです。私の場合、治療を始めて1カ月で、5年も苦しんだ頭痛や肩痛から解放され、起き上がることができました。そして約半年、数回の治療で快方に向かい、机に向かえるようになったのです。

 治療効果もさることながら、科学的に自分の病気を検証されたことが何よりうれしかった。腰、頚椎、首辺りから髄液が漏れているのがMRIで判明したのです。

 当時、漫画家としての活動停止に対し一部から誹謗中傷を受けました。また、医師に症状を訴えても信じてもらえず、家族にも心の病だと思われ、精神科医にも理解してもらえなかった。誰にも信じてもらえないことが何よりの苦痛。ところが、専門医は「その通り! 検査結果で出ています」と初めてこの病気を肯定してくれた。低脳圧は病気の証明になり、整体の先生がおっしゃった「脳圧が下がっている」という診断も合っていたのです。

 治療で症状が改善した脳脊髄液減少症ですが、2012年に転んで尻もちをついたことがきっかけで、症状をぶり返しました。そこでこの病気の治療の第一人者である国際医療福祉大学熱海病院の篠永正道先生のところに入院しました。念には念を入れて3カ月間、体を起こさずにいると、転倒前より状態も良く、なんとか普通の生活ができるようになりました。

 ただ日常生活では「脱水」と「力むこと」には注意しています。この2つが髄液が漏れる要因なので、常に経口補水液を持ち歩き、重い荷物は病気を説明して持ってもらいます。

 30年以上続いた夜型生活、睡眠、食事も規則正しく改めました。そして今、これまでの闘病記を作品にしようと執筆しています。脳脊髄液減少症に長年苦しんだ経験を経て、改めて創作意欲が湧いています。

 闘病中、温かい言葉で僕を励ましてくださったファンの皆さまにできる恩返しは、作品を発表することだと思います。また、長年の闘病中、いろんな面で助力し支えて下さった各出版社の皆さまにも心より感謝しています。最近外出できるようになり、漫画家仲間もイベントや飲み会に誘ってくださり、改めて「戦友」のありがたさも感じています。

▽まつもと・いずみ 1958年、富山県生まれ。84年連載開始の「きまぐれオレンジ☆ロード」は発売部数2000万部超。今夏、フランスで開催された日本の漫画カルチャーを集めたジャパンエキスポに招へいされ、海外でも絶対的人気を得ている。