独白 愉快な“病人”たち

漫才師 内海桂子さん(93) 乳がん

内海桂子さん
内海桂子さん(C)日刊ゲンダイ

 10歳で奉公に出て、16歳で舞台に立ってから、大病をしたことはなかったですね。子供も2人産んだけど、ほかは医者知らずで、自分の血液型も知りませんでしたよ。

 それが84歳からケガや病気が続きましてね。東京駅の階段で転び、手をついたら骨が3本も折れた。救急車で聖路加国際病院に運ばれると、手を両側から引っ張ってくっつけて固定するだけ。

 一番早く治る方法を医師に尋ねたら、手術と言うので、翌々日に手術。3カ月で三味線を弾けるまでに回復させました。

 その翌年の6月、ドラマの打ち上げで織田裕二さんに花束をいただいた時、抱きかかえてクルッと1回転してくれたんです。そしたら、脇の下の辺りにピリッと痛みを感じましてね。

 また11月に映画の撮影でおんぶされるシーンがあったんだけど、グリグリができていて痛いから、ちょっと腕の位置を調整してもらったんです。

 気になったので病院に行くと「はい、乳がんです!」って。でも、うちはがん家系でもないし、“死に病”だとか落ち込むことはなかったわね。痛いグリグリさえ取ってくれればいいと。相方の好江さんもがんだったけど、詳しいことは聞かされていなかったから、がんと言われてもピンとこなかった。

 幸い、リンパに転移がなく手術も4時間で終わり、4日で退院できました。“裕ちゃん”みたいないい男に抱きしめられてがんが見つかるなんてうれしいじゃないですか。

 おまけに乳がん手術の5日前、公演の合間にトイレに行ったら、水にぬれた床に足を取られて滑ってしまい、力士のまた割り状態になって右足の股関節が折れちゃった。でも、途中で舞台を降りるわけにはいかないから、出番になると舞台を暗転させ、車いすで運んでもらい、何事もなかったように夜の部も務めました。4日後、予定していた乳がん手術は受けましたが、結局、股関節の骨折は何もせず自然治癒ですよ。

 その次は、87歳で初めて肺炎で入院。国立演芸場の公演で4日目によろけて、さすがにおかしいので近くの医者に行ったら、大きな病院に回されて。レントゲンを見たら片肺が真っ白。即入院と言われても、まだ2日舞台があるからできない。「死んでもいいです!」と言いましたが、お医者さんは容赦せずダメってね。

 先生の折衷案で、舞台に立っている間以外は酸素マスクを装着し、舞台が終わってから即入院となりました。それがね、抗生物質がドンピシャですぐ治っちゃって、4日目に退院許可が出た。「見舞客が来るんで、あと2日置いてください」って逆にお願いしましたよ。

 最近は食事など家のことは亭主まかせ。“内海桂子”で看板を出したら代わりはいませんからね。芸に専念することが私の本職。がんやあらゆる病気も、信頼できる専門家にお任せすれば芸に時間を費やせますし、恐怖感もないですね。

 60代で家を改装した時、風呂場の天井をガラス張りにして上から見えるようにしたので、飲みすぎて湯船で寝ていると亭主が気づいてくれます。「家族の気配がわかる」というのは、この年になると安心です。

 楽しみといえば、晩酌で日本酒を1合飲むこと。この前、2人で4合飲んだら記憶がなくなっちゃいました。たまにはそういう羽目を外す時間も必要。100歳まで都々逸を作って現役芸人を続けますよ。

▽うつみ・けいこ 1922年、東京都生まれ。82年芸術選奨文部大臣賞、89年紫綬褒章、95年勲四等宝冠章を受章。現在、漫才協会名誉会長を務める。5年前から始めたツイッターも人気。