独白 愉快な“病人”たち

司会者 みのもんたさん (70) 脊柱管狭窄症 ㊤

(C)日刊ゲンダイ

 腰痛に襲われたのは61歳。05年の3月末、ある日突然でした。朝起きようとしたら、腰に一瞬ビリッと電気が走った。紹介された民間の治療院などに行ったけど、腰の重だるさが消えない。

 今まで腰痛の経験がないものだから、腹筋が足りないと思ってジムで腹筋を鍛えていじめていたくらい。余計に悪化し、立っているのがますますつらくなってきた。

 最初に受診した2人の医師からは、椎間板ヘルニアと診断された。セカンドオピニオンまでヘルニアなんだから、病名はほぼ確定。「内視鏡手術なら入院も少なくて切り口も小さく済むかな」なんてことを考えていた。 それが翻ったのは、慶応義塾大学病院の当時の院長・村井勝先生のアドバイスでした。

 僕の体調が悪くなったら村井先生に「病気の交通整理」をしてもらえるように女房が道を整えておいてくれましてね。的確な受診科目と医師、検査項目を指導してくれるのです。その村井先生が「ボート部の後輩で、アメリカ帰りで腕の立つ腰痛の専門家がいるから」と紹介してくれたのが、福井康之先生でした。
「これはヘルニアじゃなく、脊柱管狭窄症です」

 福井先生が初めて、ヘルニアと違う病気だと診断されました。椎間板ヘルニアは、椎間板が変形して飛び出し、それが神経に触れて痛むものだそう。

 僕の腰は脊椎が削れてすべり症になっているところを、脊柱管の内側に病変した靱帯や骨のカスがたまり、脊椎管を狭めていた。カスを取り除けば痛みは消えるというのです。「腰痛=ヘルニア」だという思い込みが違っていたんです。

 当時、平日は「朝ズバッ!」「思いッきりテレビ」の生放送、そのほか合計7本のレギュラー出演。翌年ギネスに認定されたほど忙しい時期で、すぐ手術とは体が許さず、8カ月後の11月末になりました。ところが、大晦日にNHK紅白の司会という大役が回ってきて、正月に延期しました。

 手術までは痛みが増すばかり。鎮痛薬が切れると、とたんにひどい痛みに襲われる。僕は3時間睡眠の1日21時間営業だから、鎮痛剤も普通の人の1日分じゃもたなくて、薬の量は増えるし、効きも悪くなる。調子が悪いせいで、酒の量も増えてね。寝るだけでも痛いので、眠りが浅くなって、疲れも増して悪循環。

 僕は、座って司会なんて絶対やりたくない主義。それで、番組のスタッフが心配してアクリル製の透明の椅子を作ってくれました。腰かけていても立っているように見える椅子でね、かなり助けられました。

 年末はブロック注射で乗り切った。痛みが消えるとはいえ、この注射を打つのがとんでもなく痛くてね。それでも、紅白ではブロック注射でごまかして、宙吊りもこなしました。

 紅白を終えて元日に入院、4日には手術でした。手術室に向かう際、カメラに向かって「行ってきまーす!」なんていきがったけど、実は、遺書を用意するくらい内心ビビっていたんですよ。

 そんな緊張をよそに、目が覚めたら手術はあっさり終わっていました。遺書まで用意したのは取り越し苦労だと思うほどあっという間。2日目には尿道の管を外してトイレは自力。3日目には歩行訓練を始めました。

 手術の痛みは麻酔の注射の最初だけ。術後の抜糸も痛くない。傷口の痛みもさほどではなく、それまで1年苦しんだ痛みは“消しゴムで消した”ように消えていたんです。(つづく)

▽1944年東京都生まれ。文化放送アナウンス部出身、2006年に「1週間で最も長い時間、テレビの生番組に出演している司会者」としてギネス世界記録に認定。