独白 愉快な“病人”たち

ファッションデザイナー ドン小西さん (63)心臓弁膜症の手術の後、うつに…

(C)日刊ゲンダイ

テレビの番組中に体験した人間ドックで心臓弁膜症が見つかり、手術はカメラを入れてドキュメントにしました。主治医は番組のご意見番でもある南淵明宏先生ですから、先生も相当気を使って最善を尽くしてくださいました。それでも術後は大変でした。

 退院してから3週間ぐらい、ひどい「うつ」に襲われたのです。家に戻ってドアを閉めると閉塞感がして不安でいられない。30代後半に一度経験しているので、これはうつだと気づき、家を出て白金から六本木まで歩いた。すると今度は六本木の雑踏の音で不安になる。これはヤバイと思って、六本木に住んでいる医者の友達をたたき起こし、精神安定剤を処方してもらって難を逃れました。

 あの頃はとにかく散歩しましたね。散歩で体を疲れさせて、余計なことを考えないようにして眠った。手術を含め10日しか休まず、正月明け早々にロケに出ていたし、仕事はテンション上げて、いつも通りやっていたけどね。

胸を20センチほど切り、胸骨をグラインダーで真っ二つにして開いて、心臓弁を人工弁に取り換える。その後、半分に割った胸骨を9カ所ワイヤでひねって留める。ワイヤの先はひねって内側に入れてあるんですが、息をしても、寝返りしても、四六時中痛い。

 あまりにも痛いので「こんなに痛いんだったら切らなきゃよかった」ってマネジャーにボヤいていました。南淵先生にも、もう一度胸を開いてワイヤをとってくれ、って言ったくらい。でも、大きな負荷がかかるから、ワイヤで留めていないとすぐ外れると却下されました。結局、一生ワイヤは外せないんですよ。

 でもね、人間の体ってすごいもので、いつも痛いって信号を送り続けて、変化がないと、神経の方も諦めて麻痺するんですよ。今は上から軽く触った程度じゃ感じなくなっています。普通は半年くらいで麻痺するらしいけど、僕は7カ月かかった。一時はこの痛みが一生続くんじゃないかと悲観しましたね。

 麻酔は本当に怖い。一度完全に心臓が止まってるんだから。腸の内視鏡検査は10数えたのに、心臓の手術のときは3つ数えたか覚えていないほど、あっという間。それだけ強力ですから術後に麻痺は続くし、体の違和感も相当期間ありました。

 また、麻酔で一度心臓を止めたせいか、性欲が失せた。夜の営みでひどい貧血で死にそうになることもなくなったのに、達観してしまって気持ちが伴わない。難しいもんだね。

実は、今度は喉に初期がんができて、手術する予定なんです。麻酔して500ミリリットルのペットボトルほどの太い管をぶち込んで手術する。しかもそんな太い管を突っ込んだまま麻酔から起こして、意識のある状態で取り外さないといけないんだっていうからね。ま、やるしかない。

 僕の周りには、日野皓正さん(71歳)や加納典明さん(72歳)など、ちょっと先を元気よく走る先輩たちがいるから、彼らを見れば、自分が今どのあたりにいるか、将来どんなことが待ち受けているのか想像がつく。よく、僕よりも若いIT長者が、田舎で何もしないでボーッとしたいなんて言うけどね、楽しいのは1週間だよ。俺は手術してでも、全力で走り続けて何かしら世間に貢献したいね。

(次回は、お笑い芸人の中川パラダイスさん)

▽1950年、三重県生まれ。81年にフィッチェ・ウォーモを設立。代表作の柄ニットは北野武らに愛用された。現在、名古屋学芸大学大学院特別講師。「ドン小西のファッション哲学講義ノート」(にんげん出版)を上梓。長野、シドニーのオリンピックユニホームに参画。東武鉄道、JR東日本など大手企業ユニホームも手掛ける。