独白 愉快な“病人”たち

ものまねタレント コロッケさん (54) 真珠腫性中耳炎

(C)日刊ゲンダイ

 中学の頃から右耳はほとんど聞こえていませんが、特に苦に思ったことがないんです。

 たまたま2009年にインタビューを受けていた際、話の流れで「僕、右耳聞こえないじゃないですかぁ……」なんて当然のように話したら、その話題が拡散したんですよね。逆に僕自身が驚きました。

 小学校の3~4年ぐらいに一度中耳炎になり、放っておいたんです。うちが貧しかったので、病院に行くことで母に負担をかけるのが嫌だったんですよね。

 女手ひとつで姉と僕を苦労して育てている母に面倒かけたくない、ただそれだけで、深く考えていなかったんです。出ていた耳だれも、中で固まったのか、出なくなった。

 次第に聞こえが悪くなり、耳からニオイがして、中学ぐらいになって友達に「クサイ」って言われるようになっていました。

 そして、中学2年のときに激痛が走り、病院に行くと真珠腫性中耳炎だと診断されました。

 中耳炎をこじらせているうちに、耳の中に真珠のツブツブのような塊ができ、それが骨まで溶かすという病気。手術で真珠腫を取り除かないと、難聴どころかほかの機能もダメにするというのです。

 手術は耳の後ろを切って、耳の奥にできた真珠腫を取り除く大手術。術後は耳の後ろに穴が開いていて朝晩、耳の奥に詰めたガーゼを交換しなきゃいけないんですが、これが痛くて。あまりの痛さにカクッと失神するんです。それも毎日! 人生であれ以上の痛みはいまだかつてないですね。

 真珠腫さえ取り除いてしまえば問題ないのですが、以来、右耳はほぼ聞こえません。感覚としてはプールに潜って、水面の上から声をかけられたような感じですね。まさかそんなことで耳が聞こえなくなるなんて思わなかったですね。僕は悩まなかったけど、母は自分のせいで息子が聴力を失ったことはつらかったみたいです。

 幸い、子供の頃からポジティブにできていて、次を考えるほうにシフトしてしまう。淡い期待は、がっかりした時のダメージが大きいだけですから。ものまねも全て、まず受け入れることがスタートなんです。

 26歳ぐらいの時、ある大先輩が「目で聞く、音で見る。見ていて音を想像し、目を閉じて想像してみなさい」と教えてくださった。漠然と体現していたことが腑に落ちた。

 ものまねをする時、耳が聞こえない分、自分の想像を加えてデフォルメして僕のものまねが完成する。僕のまねる技術、芸風は真珠腫のおかげだと。その言葉を頂いてから、心がクリアになり、ますますアイデアが広がり、芸の幅が広がりました。

 だから、僕自身は耳のことをハンディだとは捉えていません。居酒屋のようなワイワイしたところでは右側は聞こえないけれど、「僕は端っこが好きなんです」って右端の角に座れば、周りも余計な心配せずにいられますし。

 真珠腫のことが報道されてから、同じ病気の方が病気を説明しやすくなった、元気をもらえる、と声をかけてくださるのがうれしいですね。僕はファッションリーダーならぬ、真珠腫のリーダーになりましたよ。同じ病気同士、「新宿育ち」じゃなくて「真珠腫育ち」、なんてね。こんなふうに言えそうなくらい、明るいんですよ。