独白 愉快な“病人”たち

日本ブラインドサッカー協会理事長 釜本美佐子さん (73) 網膜色素変性症 ㊦

(C)日刊ゲンダイ

 全盲になってから注意深くなりましたね。メモが取れないので、記憶力がフル回転。スケジュールも頭で覚えるし、電話するには、音声電話帳で相手の番号を呼び出し、10桁以上の番号を一度暗記してから電話をかけます。買い物はヘルパーさんに手伝ってもらいますが、食材のストックをどこに置いたか覚えなければいけません。包丁やキッチンばさみを置き忘れたら、ケガにつながります。

 ツアコン時代から10日間の旅程、取引先の電話番号など暗記するのが常だから、記憶のキャパには問題ないけれど、思い込みで間違えて周りに迷惑かけないようにしています。

 それから、お化粧して頬紅が濃くなりすぎたりして、とんちんかんなこともありますね。

 網膜色素変性症って、遺伝子異常に起因するといわれています。うちは両親がいとこ婚なので伴性遺伝の可能性が高い。でも、単に遺伝子の歯車がちょっとずれただけ。サッカーに秀でた弟(釜本邦茂氏)もいることだし、私が異常遺伝子の初代だと思っているんです。くよくよするより、私は病気を受け入れて、もっと積極的に生きるにはどうしたらいいかということに考えをシフトしています。

 視覚障害になると外出が不自由になる。特に後天的に視覚を失った人は、エスカレーターが怖くなったり、閉じこもりがちに。そういう環境を変える活動も始めました。

 日本網膜色素変性症協会の会長に就いた時、JRの駅のホームや階段に視覚障害者誘導用シールを張ってもらうようお願いしたり、視覚障害者が旅行できるよう目的地のボランティアを紹介する全国視覚障害者外出支援連絡会(JBOS)を立ち上げたり。

 そして、2002年にブラインドサッカー協会(JBFA)の前身を立ち上げたのです。釜本家では、私は運動より勉強派だったので語学を、弟はサッカーと、それぞれお互いの個性を生かしてきました。それが01年に初めて弟に誘われ、ブラインドサッカーをやってみたら楽しかった。選手もボランティアも若いし、私自身も元気をもらえます。12年経ち、今年の11月には渋谷で世界選手権大会が開催されるまでになりました。

 私は、東京都障害者スポーツ大会の全盲40歳以上女子の部で、50メートル走とソフトボール投げで2年連続優勝しているんです。私の記録は10秒台で、2位は20秒台。ソフトボール投げも、私の記録が18メートルで、2位は11メートル。記録が突出しているのは私がスゴイんじゃなく、先天盲の方は親が危ないことをやらせないように育てていたり、スポーツに触れる機会が少なかったりしただけなんです。

 そこで日本ブラインドサッカー協会では、子供の頃にサッカーを通してスポーツの楽しさを体験してもらおうと働きかけています。去年からはキッズキャンプを始めました。

 今、iPS細胞のおかげで網膜色素変性症にも治療の可能性が出てきました。まずはiPS細胞による加齢性黄斑変性の手術が行われるそうなので、結果を大いに期待しています。

 私は125歳まで生きるつもりなんです。日本の最高齢の女性が116歳でしょ。医療レベルもさらに向上して、あと10年は寿命が延びるといいますからね。その頃には、この障害を取り巻く環境も変わるかもしれません。まだまだやりたいことがいっぱい! 当面の目標は、今年50メートルを9秒台で走ることかな。

▽かまもと・みさこ 1940年、京都府生まれ。日本交通公社の海外添乗員第1期生。その後、独立してツアーの企画添乗に携わり、英語塾を開く。数々の視覚障害者団体で理事を歴任。2002年のブラインドサッカー協会設立と同時に理事長就任。現在、11月に東京で開催される世界選手権に向けボランティアを募集中。詳しくは日本ブラインドサッカー協会HP(http://www.b-soccer.jp/)へ。