独白 愉快な“病人”たち

日本ブラインドサッカー協会理事長 釜本美佐子さん (73) 網膜色素変性症 ㊤

(C)日刊ゲンダイ

 それからしばらくして、両目の白内障の手術も受けました。私の場合、加齢による不具合がすべて目に重なって出てきたんですよね。

 もともと日本交通公社(現JTB)の海外ツアーコンダクター第1期生として世界140カ国以上を飛び回った後、フリーのツアコンをしていたのですが、病気の診断を受けてからモスクワツアーに出掛けた時のこと。もともと薄暗い空港が、夜盲症でさらに鉛色に映り、入国手続きの列を間違えるほどになっていた。もう案内することはできないと思い、このツアーを最後に、25年続けた海外ツアコン人生に終止符を打ちました。60歳でした。

 こうしている間にも、持病の網膜色素変性症は次第に進行し、英文を読むにも単語1個しか視界に入らず、声に出して読むとつかえる。真っすぐ字も書けない……。パソコンは読むのも打つのも困難になりました。
「音声で読んでもらったらパソコンで苦労しなくていいのに」と障害者仲間に言われ、69歳で視覚障害用のパソコン教室に通うことにしました。手続きのために検診を受けると、1級障害と認定されました。点字は覚えませんでしたね。あんな細かい点を指でなぞって読むなんて、区別がつかないもの。

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