独白 愉快な“病人”たち

講談師 一龍斎 貞水さん (74) ㊦

(C)日刊ゲンダイ

 肺がんは71歳の時に見つかった。たばこをやめて3年ほど経った頃で、やめない方がよかったのかと思ったよ。それで1回目の切除をしたんだけれど、また別の箇所に肺がんが見つかった。そいつが抗がん剤治療中に消えかかったら、また出てくる。ついたり消えたり、そんな電球の球じゃあるめぇし、っていうんだよ。それでもう一度切ることになった。

 前回は胸の前にちょっとの傷で済んだが、肺の3分の1を切除することになって、今度は背中の肩甲骨のところをザックリ開いた。背中の傷の痛みは、時代劇で背中を切られた芝居どころじゃなかったよ。

 肺の一部を失うってことより、しゃべれなくなるかもと言われたことに動揺した。呼吸困難で声を出せないかもしれない。芸人人生ここで終わりか、とね。

 いざ切除してみると、急に走ったりするとひどく苦しくて、日常生活はしんどいことも出てきた。ところが、本職の講談には全く問題なかった。声の出し方、息のつき方は体で覚えている。腹から声を出すから、肺が欠けても声量も変わらず、いくらしゃべっても何ともない。16歳から修業しとくと、なんとかなるもんです。

 肺がんと同時期に前立腺がんも見つかった。こちらは様子見で、去年、放射線治療をしました。お釜のようなところに入れられて、放射線を照射。患部に赤いマジックで印をつけるんですが、放射線が患部を外れると出血したりしてね、なかなか難しい。これを40日間毎日連続、休みなく続けた。

 検査の時、尿道から管を入れて、さらに肛門からも器具を入れて、患部を押して調べられるのはつらかったね。放射線もやはり体に負荷がかかるようで、事前に医者から「体がひどくダルくなる」と脅された。それでも仕事は休まず続けたよ。ダルさなんて若い頃からの二日酔いで慣れたもんです、ワッハッハ。

 そもそも、がんなんて心配したって仕方ない。膀胱、肺、前立腺と、もう3つも経験したら気にしないよ。医者も「白髪が生えたようなもんだ」って言う。だから私も「先生、これ以上“悪くならない”ようにしてください」って頼んでいます。

 仕事は、抗がん剤や放射線治療中も事前にスケジュール調整しただけでひとつも穴をあけなかった。入院中に中抜けして地方公演にも行った。

 留守でも個室代1泊分取られたのはもったいなかったな……。それでも、働けりゃ取り返せる。高座に上がると夢中になっちゃうから、痛みも、吐き気も、ダルさも忘れちゃう。自分の代わりがいない緊張感とやり甲斐は何より元気にさせますよ。

 だから事務所の社長に言うんです、「俺を丈夫にしたいなら仕事を取ってこい」ってね。今も講談に視覚も加えて進化させた独自の「立体怪談」というのを考案し、全国の学校を回っています。年間100回以上は公演し、昼は北海道で公演、夜は鹿児島、翌日の昼は兵庫なんて時もある。

 ある意味、金に目がくらんで頑張っているところもあるね。そういう素直な感情こそ生きる原動力ですよ。働けばお金が入る、金が入れば酒が飲める。生きるために節制する気はさらさらない。それよりこの仕事が終わったらうまい酒が飲める、そう思う方がポジティブに、がんと共存しながら長生きできるんじゃないかなと思います。