独白 愉快な“病人”たち

コラムニスト 神足裕司さん (56) くも膜下出血 ㊦

(C)日刊ゲンダイ

 2011年9月に発症した僕のくも膜下出血はグレード5の重篤な状態。手術の翌日には脳圧が上がってしまい、頭蓋骨の一部を外す手術。さらに、大量出血による脳のダメージを回復させるための麻酔で眠らせる処置。「麻酔が切れても、このまま目覚めないかも」「目覚めたとしても、家族のことは覚えていないかも」という医師の宣告。しかし、発症から1カ月半ほど経ち、僕は目覚めたのです。

 11月23日には新横浜リハビリテーション病院に転院。翌2012年4月20日には東京慈恵会医科大学付属第三病院のリハビリ科に転院しました。

 実は意識を取り戻してからも、自分の体の左半身がマヒしている、動かそうとしても動かない、とは長く認識していませんでした。暖かな気持ちのいい場所で気分よく仕事をしていて、早く家族のもとに帰ろうと思うのだけど体が動かなくて、妻が僕を呼んだので体を動かそうと思ったら、病院のベッドで横になっている自分がいた、というような……。

 体が動かないというのがどんな感じかというと、夢の中で一生懸命叫んでいるのに、近くにいる人にも声が届かないという感じです。昔、歩いていたのだから、歩く感覚は分かっているはず。でも、歩こうと思っても、歩くという指令が脚に届かない。

 食べようと思って左手を口に持っていこうと考えると、手が動かなくなる。話そうと思うと、話せなくなる。脳の指令が体の末端にうまく届かなくなってしまっているんです。

 2012年9月1日、くも膜下出血を起こして約1年後、ようやく自宅に戻れました。僕の要介護度は最も重い5。左半身にマヒがあり、歩くこと、寝返り、話すこと、自分で食事を取ることなど、すべてできません。

 介護をする家族の負担が大きすぎるので、療養型の施設に入れた方がよいのでは、というアドバイスをさまざまな方から受けたようですが、家族は自宅で一緒に過ごすことを選んでくれました。

 動けなくなって感じているのは、人間というのは本当にさまざまなことを同時に考え、ひとつのことをしているということ。僕はそれができない。トイレに行きたいのに、トイレに行きたいと言えない。そう紙に書くことも思い浮かばない。

 トイレの時は大騒ぎですよ。うんこがしたくなる。すぐそこまでうんこが来ているので緊急事態。車椅子の上でうんこをストップさせるために、尻をずらす。家族の方を見るけど、テレビを見ていてみんな気付かない。「うんこだってば!」と心の声で叫んでも、聞こえない。もう駄目だ、と思った時にようやく気付いてもらい、猛ダッシュで車椅子を息子が押してトイレに連れて行ってくれる――。

 ところが、うんこと違っておしっこは出るタイミングが分からないんですよ。ヘルパーさんにおむつを開いておしりを拭いてもらっている時に、前触れもなく出ちゃう。情けないけど仕方ない。人間の体は不思議なものだと思い、自分が生きていることを実感します。切なくて、おかしくて、涙が出てしまうんです。

 後遺症では、高次脳機能障害もあります。この認識も、左半身マヒと同じで、自分ではあまりない。ただ、忘れてしまうんです。朝書いた原稿の内容を、夜にはもう覚えていません。家族によれば、「忘れてしまう」「覚えていない」「よく分からない」といった言葉をよく口にするそうです。

 こんなに体が変わってしまったのが、今でも信じられない。でも、嘆いていても仕方がないと思っています。それよりも、書くという機能を神様が残してくれたのだから、つまらなくても、忘れても、これからも書き続けようと思う。僕にとって、書くことが、生きることなのです。

※編集部注 神足氏は現在思うように話せないため、質問に対して書いてもらったものをまとめました。