独白 愉快な“病人”たち

歌手 丸山圭子さん (59) 卵巣嚢腫

(C)日刊ゲンダイ

 1995年の春、ちょうど離婚が成立した頃だった。生理の出血量がものすごく多くなり、男性に言うのもなんだけど、ナプキンが座布団状態。貧血気味で、体が重だるくて体調が悪く、自宅近くの玉川病院を受診したんです。

 すると、「すぐ(手術で)切らなくては駄目」とお医者さんに言われちゃって。卵巣腫瘍の一種、卵巣嚢腫が見つかったのね。10センチほどあり、悪性か良性かは、切って調べないと分からない。病院に行った時点で「何かあるだろう」と覚悟していたから、病名には驚かなかったけど、子供のことをどうしようと頭がいっぱいになりました。

 その時、次男が2歳。その子の父親である元夫とは別居生活4年、離婚調停2年と、なんだかんだと大変な状況を乗り越えて離婚に至ったの。別居中、子供は向こうと会っていたけど、離婚してからは会わせないようにしていた。

 だから、病気のことも元夫には知らせなかった。当時、母は埼玉在住だし、姉は大阪。長男は15歳だからなんとかなるとして、次男はまだまだ手がかかる時。子供の面倒をだれにお願いするか……。結局、親しくしていた長男のお友達の家族に全面的に協力してもらって、入院し手術を受けることにしたんです。

 手術に関してはまな板のコイのような気分で、むしろ出産の時の痛みの方が大きかったんですが、つらかったのは手術後ですね。私、食べるのが好きで、手術後も食欲があったんですよ。でも、手術後数日は、開腹手術をしているので痛くて何も食べられないでしょ?

 お腹がペコペコな時にテレビでおいしそうなものが映ると、食べたいなぁ、元気になったら食べられるんだなぁって。手術後3日目になって出た重湯は、最初のひと口で「あっ、こんなにおいしいもんなんだ!」と、とにかく感動しました。

 この時感じたのは、食べるってすごいことだ、ということ。食べて、寝る。それが体を回復させる大きな要素。玉川病院の食事がおいしかったということもあるけど、毎回完食していましたね。

 気になっていた卵巣嚢腫は、細胞検査を3回やってもらって、良性という結果が出ました。退院したら子供の世話で忙しくなるだろうと考えた病院の配慮なのか、入院期間は4週間ほどと長め。離婚や子育てで相当疲れていたんでしょうね、ゆっくり休めたという印象が強いです。

 実は先日出した自著「どうぞこのまま」で初めて明かしているんですが、私は16歳の時、父をALS(筋萎縮性側索硬化症)で亡くしているんです。中枢神経が枯れていくALSは、治らないまま体が不自由になり、言葉も話せなくなり、それでも頭は侵されないという、人の尊厳とは何かを考えさせられる病気。

 年齢的に多感な時でもあり、これまでの人生の中で、父の死は一番大きな経験です。私が歌手のオーディションを受けたのも、父が死んだ後、何をやったらいいか分からず悩み、自分が全身全霊でやれることを見つけたいと思ったからでした。父を亡くした悲しみを言葉では伝え切れない。人に言っても分かってもらえない。でも、音楽を通じてなら、シンプルな表現でも相手に伝えることができるんだと思ったからなんです。そういう意味では、父の死がなければ、歌手になっていなかったかもしれません。

 卵巣嚢腫で入院していた時、大部屋にいたんですが、隣のベッドの女の子から「音楽を教えないの?」と聞かれ、退院後、彼女に音楽の指導をすることになったんです。生徒さん第1号が彼女。それがきっかけになって専門学校で教えるようになり、今は洗足学園音楽大学の客員教授を務めながら音楽活動を行っています。今、改めて音楽のよさを実感しています。言葉が追いつかないことっていっぱいある。それを音楽なら、メロディーに乗せて気持ちを相手に伝えることができる。多くの人に幸せになってもらうために、これからも歌っていきたいですね。

▽まるやま・けいこ 1954年、埼玉県生まれ。76年に「どうぞこのまま」が爆発的ヒット。育児のため一時活動休止。96年に音楽活動再開。1月にニューアルバム「Covers Best~Now&Then~」を発売。3月11日に「目黒Blues Alley Japan」でニューアルバム発売記念ライブを行う。チケット予約は(電話)03・5740・6041まで。