独白 愉快な“病人”たち

プロレスラー 大仁田厚さん (56) 敗血症

(C)日刊ゲンダイ

 日刊ゲンダイにはさぁ、昔いろいろ書かれたんだよ。みんな、俺のこと、何書いてもいいと思っているだろ? でも、結構へこむんだよな。いちいち反論しないけどさ。

 敗血症で入院していた時も、俺の死亡記事をマスコミ各社が用意していたらしい。当時は病気のことは公表していなかったのに、どこで気付いたんだろうな。

 その敗血症だけど、ちょうど21年前の1993年2月、喉が痛くて寒けがして、ずっと風邪だと思っていたんだよ。病院で喉の中を切って膿を出してもらったら楽になったんで、予定通り鹿児島で試合に臨んだ。

 ところが始まってすぐ、息ができなくなり、リングが逆さまに見えるほど具合が悪くなった。試合を中断したかって? プロなんだから、そんなことするわけないだろ。チャンピオンベルトをかけた有刺鉄線試合。試合時間は20分くらいだったかな。もちろん、勝った。でも、試合後は呼吸困難で意識不明になり、鹿児島の病院に救急搬送されたんだ。

 後からおふくろに聞いた話では、喉の奥が腫れて5ミリしか開いておらず、敗血症で死ぬギリギリ直前。家族全員、助からないかもって覚悟したって。そんな俺に医者が十数人ついて、蘇生治療を一生懸命してくれた。

 これまでプロレスの試合で抗生剤をたくさん飲んできたから、耐性ができていて抗生剤が効きにくい。「これが効かなければもうダメ」という、最後の抗生剤が運良く効いて、まさに九死に一生を得たんだ。

 この間、俺は臨死体験をしてるんだよ。スナックで飲んでいたのに、気がつくとロシア。きれいな麦畑があって、そこに大きな木があり、幹に入ると気持ちいい。

 ところが、「お兄ちゃま」って呼ぶ声が遠くから聞こえる。今から思うと、あれは母さんの声なんだよな。こんなに幸せなのに、と思って振り向くと、今度は雪山にいて、すぐ近くに熊! 〈俺がやっつけなくては〉と正義感で向かっていったら、熊に殴られ、そこで目が覚めた。

 周りにいる先生に「熊に殴られたから頭が痛い」って言うと、「大変でしたね」という返事。だから俺、自分が敗血症なんて知らないから、熊に殴られて入院したと、はっきりしない頭の中で思っていたんだよ。

 敗血症から回復していく途中でも、アクシデントがあった。

 好きなものを食べていいと言われてうな重を食べたら、しばらくして治療で喉に開けた穴から膿が出てきた。うなぎの骨も出てきた。喉の傷に味噌汁のネギが張り付いて、化膿したんだね。それでもう一回手術を受けたよ。

 入院中はあらゆる管につながれていたけど、出来る範囲でスクワット。管が取れたら、腕立て伏せや腹筋。体力を取り戻すために入院部屋にガスコンロを持ち込み、買ってきてもらった牛の骨でビーフスープも作った。復帰に対する不安は少しもなかったよ。プロレスをやめるなんて、全く頭に浮かばなかったね。

 20日間の入院で体重は15キロ減。ステーキを食べたりして、退院1週間で元の体重を取り戻したよ。すぐに爆破電流デスマッチがあったからさ。だって、退院して試合見にいったら、客がパラパラしかいなくて、俺がやらなきゃって。

 主治医が言うには、俺は敗血症で70%の確率で命が危なかったらしい。ようやく助かった命なんだから、大事にしていきたいと思っている。一生悔いのないように生きていこうってね。ま、でも、「電流爆破ツアー」を今年は10試合やるんで、十分むちゃはしているかな。

■敗血症とは
 体内で感染症を起こしている場所から、血液中に病原体が入り込んで引き起こされる全身性炎症反応症候群。非常に重篤な状態で、治療が遅れると死に至る。

▽おおにた・あつし 1957年、長崎県生まれ。2012年にヘルパー2級を取得。目黒で目黒リハビリホームを運営中。3月の電流爆破ツアーは21日・福岡、22日・熊本、23日・埼玉の予定。