独白 愉快な“病人”たち

元大関琴風・尾車部屋親方 尾車浩一さん (56) 頚髄損傷

(C)日刊ゲンダイ

 2012年4月、大相撲の福井巡業中のことです。会場の小浜市民体育館の入り口付近で、土俵の端のブルーシートに足を取られて転んでしまったんです。

 気付いたら、その場にいたみんなに囲まれていました。意識はあり、話せるのですが、あれっ!指先、いや、首から下全部が動かない――。

 救急搬送された先で分かったのは、頚髄損傷。ただ転んで首を打っただけで、まさか元力士の自分がこんなことになるなんて、思いもしませんでした。どうも現役時の古傷がある箇所で、そこが悪化した影響もあったようです。

 入院してすぐ弟子に携帯電話を耳元にあててもらい、東京のかかりつけ医に連絡。2日後、民間救急車で福井から東京まで9時間かけて転院しました。

 この病院には2日間いただけですが、尻にひどい床ずれができましたよ。ガーゼを交換すると、そこには血がベットリ。自分で尻は見えないから、俺の尻はどうなっているのかと思いました。

 転院から4日後、神経の通り道を回復させる手術を受けて多少回復したものの、上体を起こすと起立性低血圧による貧血でクラクラする。手足はこわばるし、異常感覚があり、シャワーを浴びると千本の矢が全身に刺さるように痛い。大好きだった風呂が嫌いになるくらいでした。

 それから寝たきりの生活が続きました。リハビリは1日2回、手指を1時間曲げ伸ばししてもらうところから始めました。先が見えず、頬を伝う涙すら自分で拭うこともできない。ただただ天井を見るしかなかったよ。

 呼吸器をつかさどる部分も損傷を受けていたので、本来は胸に穴を開け、機械の力を借りて呼吸しなくてはならない状態だった。それが、私の場合は自力で呼吸ができたんです。自宅に訪問看護師さんが来た時は、「相当珍しい」と驚かれました。長年鍛えたおかげかもしれません。

 顔が知られてる分、最初はリハビリしている姿を見られるのが恥ずかしかった。でも、弟子たちに「我慢せい、諦めるな!」と言っていた手前、ここで諦めたら指導者失格だと思いました。

 さらに、傍目を気にせずリハビリしている10代の若者を見て、自分は愚かだと気づいたんです。これが意識改革になり、事故から7カ月後の11月場所には、車椅子で巡業に行けるまで回復しました。

 でも、事故は悪いことばかりじゃない。食欲が減り、酒も飲まなくなったので、10年来の糖尿病がよくなりました。降圧薬も飲んでいたのに、今じゃ低血圧気味で肝機能も問題ナシ。115キロだった体重が今は87キロ。小4の頃と同じです。現役時代の170キロからは想像できないね。

 朝はトースト半分と目玉焼きで十分。服がユニクロで買えるって女房に喜ばれたよ。

 事故後10カ月目には、車椅子を捨てて杖に替えられた。書き物は難しいからスマホが手帳代わりだけど、LINEも使いこなしてます。人前では歯を食いしばってでも見えを張る。それがいい緊張になって、回復を助けてくれていますよ。

 今は週1回リハビリしつつ、巡業部長の仕事も続けています。神経は必ず伸びるから絶対諦めない。私が少しでも回復することが、だれかの元気の源になればと思っています。

▽おぐるま・こういち 1957年、三重県生まれ。71年、14歳で初土俵。78年、関脇に昇進。けがに泣かされながらも得意のがぶり寄りで土俵に戻る姿から、不屈の英雄と称される。現在、相撲協会理事・巡業部長として全国を奔走。新著に「人生8勝7敗 最後に勝てばよい」(潮出版社)。