独白 愉快な“病人”たち

作家 荻野アンナさん (57) 大腸がん ㊤

(C)日刊ゲンダイ

 2012年の5月、血便が出て、すぐにかかりつけの病院を受診したら、S字結腸に5センチの大腸がんが見つかりました。2007年に彼(編集部注・十数年間連れ添った恋人)を食道がんで亡くした経験から、「大腸がんなんて切れば治る軽い病気」に思え、「これで休める」とホッとしました。

 この何年かで父、彼をみとり、大学の授業や連載に加えて3・11以降はエネルギー関係の取材などがあり、オーバーワークで突き進んできましたから。40代から介護うつで抗うつ薬も飲んでいましたしね。

 ただ、問題は要介護の母。母を家にひとり残せないので、医師に相談して、子連れならぬ“親連れ入院”しました。背中にリュック、両手に旅行カバン、さらに100円ショップで売っている大きな荷物袋を引きずりながら、母の車いすを押して大移動。母の部屋は私の2部屋隣。呼べば聞こえる距離です。

 手術は5月末。腹腔鏡か開腹のどちらにするかと聞かれ、担当医の症例が多い開腹を選び、「バッサリやってください」と20センチほど切除しました。

 ところが、術後もお構いなしで、母が「アンナ~!」と呼びつける。当時、母はたばこを吸っていて、毎日院外の喫煙所まで連れていかなければならなかったんです。

 片手で母の車いすを押し、片手で自分の点滴棒を持ってカラカラ。もう力ワザです。院内で点滴棒を引きずって駆け回っているのは、私だけ。おまけに、術後2日目から、口述筆記で連載も落とさずこなしていました。

 それらのおかげか、開腹手術後の合併症として言われていた腸の癒着も起こらず、治りは早かった。開腹したところの縫い目はきれいで、見舞客に無理やり見せて自慢しましたよ。

 それにしても、自分のこととなると、手術も治療も一連のプロセスが面白い。手術の麻酔前、禁止されていた水をガブガブ飲んでしまったことを思い出し、医師に謝りつつも「水に流してください」なんてダジャレを炸裂。医師には聞き流されましたが……。手術を終えた後、意識がもうろうとした中でいろいろとメモを取りましたよ。文字が読み取れず、書いたこと全てを判別できないのが残念なんですが。

 ざっくばらんに話してもらえそうな看護師さんを見つけて、エロネタ取材もしていました。面白かったのは、いろんなものを肛門に入れて救急車で運ばれてくる人たちの話。その理由を、みんな一様に「転んじゃった」と言うらしいんです。転んでそんなモノが入るのかって話ですが。

 中でも大物は、シャンプーボトルを肛門に入れて救急車で運ばれてきた中年男性。取り出すのに手術しか方法はなく、その手術には家族の同意書が必要で……。

 その男性は「女房にだけは言わないでください!」と懇願したそうです。まあ、結局はバレるんですけど。そんなエロ話を聞いていると、体のしんどさも紛れ、エロって生きるためのエネルギーなんだな、とつくづく思いました。

 がんの治療と並行して、介護うつも診てもらっていたんです。ところがそのうち、抗うつ薬がいらなくなった。生命の危機が優先されたせいで、「うつ」が引っ込んだんです。(後編につづく)

▽おぎの・あんな 1956年、神奈川県生まれ。慶応義塾大学文学部教授。91年「背負い水」で芥川賞受賞。2005年に11代目金原亭馬生に弟子入り、落語家・金原亭駒ん奈としての顔も持つ。近著に「えろたま」(中央公論新社)がある。