独白 愉快な“病人”たち

漫才師 オール巨人さん (62) C型肝炎 ㊤

(C)日刊ゲンダイ

 42歳の時、盲腸の手術がきっかけで、C型肝炎が判明しました。

 全く想像していませんでしたよ。原因についても、特に心当たりがない。一般的にいわれているのは、子供の頃の予防接種などの注射器の使い回しやけど、ほんまのことは分かりません。

 特に倦怠感などなかったんで、そのまま治療もせずに放っておいたんですが、2010年、かかりつけ医の先生に「そろそろC型肝炎の治療せえへんか? 今はいい薬も出ているし、お客さんは長くオール巨人の漫才を見たい思うてるんやないかな」と言われ、気持ちが変わりました。

 実は吉本に、C型肝炎から肝がんになり、すでに治療できないとこまできている先輩もおったんです。

 その方はそのまま芸人を全うしましたが、今の僕には選択肢があるとも考えてね。

 医師は、その場で肝炎治療の専門医に電話をしてくれ、治療の日どりがすぐに決まりました。僕のC型肝炎の遺伝子型は1a型。週1回のペグインターフェロンの皮下注射と経口薬による併用療法で期間は1年半。副作用の説明資料を読むと、恐ろしくて怯みましたけど、いい意味で考える暇がなかったんです。

 最初にペグインターフェロンを打った時は、39度の高熱が出て、インフルエンザのような状態が3日間続きました。その後も、発熱、嘔吐、口内炎、肺炎、脱毛と、副作用に襲われました。

 めまいもひどく、舞台袖に行くのがやっと。袖に置いたイスに座って体を落ち着けてからでないと、舞台に立たれへん。目の前がはっきり見えないほど調子が悪い時もしばしば。「倒れたらお客さんに迷惑かけるなぁ」なんて考えていました。

 食欲も失せ、体重は9キロ減。味覚が過敏になり、キムチなんて食べたら口の中が焼けるように痛い。サビ抜きの寿司とうどんばかり食べて体力を保っていました。

 ただね、休みをもらったのは、治療開始の1週間だけ。それ以外は、仕事はいつも通りです。午前中に病院で注射を打ってから、「なんば花月」に滑り込みで舞台に立つこともありました。どんなに体がつらくても、本番はちゃんと漫才ができるんです。C型肝炎についての講演も積極的に引き受け、自分の病気について語りました。仕事があったからこそ、治療を頑張れましたね。

 調子がよい日は、筋トレもしていましたよ。ま、そんなことしてたのは僕とスポーツ選手の2人だけだったそうです。薬の量は体重に応じて飲むので、驚くほど薬の量が多かった。それでも副作用がほかの人より軽かったのは、体力があったからだと思います。32歳の時から3日に1回は続けていた2時間の筋トレのおかげかもしれませんね。

 ところが、調子に乗ってゴルフに行ったら熱射病になってしまった。翌日のテレビの仕事をキャンセルさせてもらおうと相談したら、局側は阪神君だけでも来てくれと。

 もし相方だけが出演すれば、「やっぱりC型肝炎の治療は難しいんや」と騒がれる。僕のブログを心の支えにしてくれている方や応援してくれている同じ病気の方々に申し訳が立たない。僕は助手席にバケツを置いて吐きながら自分で運転し、熱射病で視界も朦朧としている中、必死で現場に向かいましたよ。

 治療の途中には、せきが止まらず間質性肺炎になりかけ、治療断念かという危うい時もありました。ですが、なんとか1年半後、C型肝炎から卒業しました。(後編につづく)

▽1951年、大阪府生まれ。75年に「オール阪神・巨人」を結成。同年、「第6回NHK上方漫才コンテスト」で優秀話術賞を受賞したのを皮切りに、上方漫才大賞5回、上方お笑い大賞3回、花王名人大賞6回など、数々の賞を受賞。