独白 愉快な“病人”たち

お笑い芸人 ハウス加賀谷さん (39) 統合失調症 後編

(C)日刊ゲンダイ

 統合失調症で7カ月間閉鎖病棟で過ごし、退院してからもほぼ自宅に引きこもり。薬を数種類飲んでいましたが、とても“普通の生活”に戻れる状態ではありませんでした。

 副作用もつらかったですね。舌や手元が震えたり、早朝覚醒したり。おねしょもありました。量が多いから、大人用の紙おむつとおねしょシーツとのダブル使いでしたよ。

 ところが退院して5年ほどたった頃、病気仲間から新薬を教えてもらったんです。エビリファイというその薬を飲んだら、体調はわずか半日で劇的に変化しました。それまで何年間も、視界はガラス一枚隔てたような感じで、音も海の中にもぐっている時のようにこもって聞こえていたのが、すべてクリアになった。それから少しずつエビリファイの量を増やしていき、今ではこれをメーンに数種類の薬を飲んでいます。

 エビリファイとの出合いで、少しずつアクティブに行動できるようになりました。それまでも読みたい本のためなら何とか外出できてはいたんですが、その頻度が増えましたね。

 在庫がほかの店舗にあると聞けば1時間かけてその店舗まで行く。僕の居場所はお笑いしかない、絶対に戻ろうと思い、とにかく本を読むことで外界とのつながりを保とうとしていたんです。次第に本のこと以外でも外出できるようになり、アルバイトをするなど、“普通の生活”に戻していきました。そして1999年に閉鎖病棟に入院してから10年たった2009年、ようやくコンビを再結成でき、今年で4年になります。

 でも、最初の頃は1カ月かかっても、たった5個のネタしか覚えられず大変でした。薬の副作用には、記憶力の低下と感情の欠落もあるんです。そのため、何を話していたか途中でわからなくなる。感情が平坦で昔のような激しいリアクションができない。昔の僕を求めているお客さんのことを思うと、焦るばかり。

 振り返ると、周囲の期待を読みすぎる性格が病気の一因でもありました。子供の頃は、本当はテレビを見たいのに言い出せない、友達と遊びたいのに塾へ行く、親の期待を読んで行動する子でした。周囲の期待を抱え込みすぎたことが、精神に負担をかけていたんです。

 最近は、舞台で記憶が飛んでもその場で「わからなくなりました」と言えるようになりました。すると、気持ちの余裕が出てきて、記憶力もよくなり、今では当日台本を渡されてもこなせるようになりました。

 今は医師の処方を守って薬を飲み、毎朝起きたら必ず窓を開けて太陽を見ることを心がけています。閉鎖病棟に入院していると、起床時間に部屋の電気がまぶしいくらいピカーッと光って起こされるんですよ。昼夜逆転生活になると精神が不安定になりやすいので、体内リズムを強制的に朝型にするんです。その習慣を引き継いでいます。

 でも、こうして10年のブランクを経ても芸人さんたちが温かく迎えてくれ、舞台に立つことができ、お客さんが笑って元気になってくれる。それが、僕には何よりの薬です。

相方・松本キックさん(44)の話
「『当事者との接し方』という部分で僕に関心を寄せられますが、僕はそのまま接しているだけ。プロの人でも『これはできないだろう』と先回りしてしまいがちらしいのですが、僕は手を差し伸べない。加賀谷ができないことがあれば、その都度どうしようかと一緒に考える。僕は手先が不器用、加賀谷は本来細かいことが得意なので、今の2人は釣り合いが取れているのかもしれません」

▽はうす・かがや 1974年東京都生まれ。91年に「松本ハウス」としてコンビ結成。「タモリのボキャブラ天国」「電波少年」などテレビで活躍。99年に統合失調症のため閉鎖病棟に入院。09年にコンビ活動を再開。相方の松本キックが詳細にインタビューして執筆した「統合失調症がやってきた」(イースト・プレス)を上梓。