独白 愉快な“病人”たち

お笑い芸人 ハウス加賀谷さん (39) 統合失調症 前編

(C)日刊ゲンダイ

 芸名の「ハウス」は15歳で入ったグループ更生施設の名前からとりました。

 施設の名前が「〇〇ハウス」だったんです。病気はある意味、僕の奇抜なキャラクターを支えたベースでもあります。

 最初に発症したのは中学2年のとき、自己臭恐怖から始まりました。クラスのみんなが僕のことを臭いって言っている幻聴が聞こえ、僕なんかいない方がいいって思い始めて。自分がワキガだと思い込み、医者に行ってワキガじゃないと言われてもどうしても納得がいかず、ワキガの手術をしたんです。それでも僕のことを臭いって言っている幻聴は消えなかった。

 高校を中退して引きこもりになり、幻覚が見えたりするようになって、例のハウスに入りました。施設の中は皆同じような境遇。幻聴のもとになることは皆に話せばやめてくれるので快適でした。お笑いデビューしてからは、グループホームでのエピソードをネタにしていましたよ。ボランティアで来ている女性に告白したら、翌日、性欲を抑える薬らしいものが増えたことをネタにしたこともあった。

 そんなグループホームを1年ほどで卒業し、お笑いの世界に飛び込んだ。病気もキャラクターとして受け入れられ、生きている手ごたえを感じ、僕の居場所はここだと実感したんです。それが「ボキャブラ天国」など、お笑いブームで忙しくなるにつれ、次第に精神的に限界にきてしまって。

 相方には1年ほど隠していました。でも遅刻が30分、1時間、2時間と次第にひどくなり、ついにライブに間に合わず、仕事に穴をあけて、隠し切れなくなった。セリフ覚えも悪くなって、舞台でボーッと立ち尽くし、夜中じゅう涙が止まらなくなったり感情もおかしくなりました。

 ある晩は自殺願望が起こって、薬をまとめて飲んだ。ところが薬が効かなくて、翌日普通に起きることができちゃった。「なんだ、死ねなかった」と思って仕事に行ったら、仕事が終わる頃に頭がひどく痛くなって。ホント死ぬかと思いましたよ。いや、死のうとしたんですけどね。

 その頃、調子がいいと薬を減らしたり、悪化すると過剰な量を一気に飲んだり、医師の処方を無視していたんです。あとで知ったのですが、「服薬コンプライアンス」といって、自己裁量による薬物(処方箋)乱用が症状を悪化させる一因になっていたんです。

 今から13年前、ついに声も出せないほどの状態に陥り、統合失調症と診断され、閉鎖病棟の保護室に入院しました。真っ白で、トイレと洗面所だけの独房。それすら動揺しないほど感情が失せていたんです。母はその部屋の壁にピーターラビットが出てきそうな草花のシールを貼りだしたのを覚えています。無味乾燥な病室に少しでも癒やしをと、母なりの愛情表現をしてくれました。

 保護室と相部屋含め、7カ月の閉鎖病棟生活を過ごし、5年ほど自宅療養の引きこもり。もう普通の生活に戻れるなんて思えなかった。ところが、新薬との出合いが僕を変えたんです。地域のグループカウンセリングで顔を合わす病気仲間から「飲み薬を新薬に替えたら調子が良くなった」という話を聞き、同じ薬を処方してもらった。

 すると、朝飲んで夕方には、今まで目の前を覆っていた膜がとれて、鬱々とした気持ちが軽くなったんです。すりガラスを一枚隔てたような視界が、突然クリアになった。僕の人生に一筋の光がさした瞬間でした。

 そこから僕は快方に向かい、10年のブランクを経て、お笑いコンビ復活を相方に願い出たんです。
(後編につづく)

▽はうす・かがや 1974年東京都生まれ。91年に「松本ハウス」としてコンビ結成。「タモリのボキャブラ天国」「電波少年」などテレビで活躍。99年に統合失調症のため閉鎖病棟に入院。09年にコンビ活動を再開。相方の松本キックが詳細にインタビューして執筆した「統合失調症がやってきた」(イースト・プレス)を上梓。