Dr.中川のみんなで越えるがんの壁

【つんく♂さんと林家木久扇さんのケース】喉頭がん 明暗分けた初動の違い

左からつんくさんと林家木久翁さん
左からつんくさんと林家木久翁さん(C)日刊ゲンダイ

 衝撃告白から半年余り。声帯を失った音楽プロデューサーのつんく♂さん(47)が先月、喉頭がんの手術後初めてステージに上がりました。日本子守唄協会の設立15周年記念で自ら作曲した子守歌「うまれてきてくれて ありがとう」のイベントに招待されたのです。「うまれて――」の歌声に涙を流し、「生きている意義を感じられるような楽しい人生を歩んでいかなければ」と誓ったといいます。

 今年4月、母校・近大の入学式では、「摘出よりほかなく、一番大事にしてきた声を捨て、生きる道を選びました」というメッセージで昨年、喉頭がん手術を受けたことを発表。気丈に振る舞っていた姿が、共感を呼びました。

 報道によれば、診断される数年前から高音が出にくかったそうで、喉頭がんはかなり進行していたことがうかがえます。早期の喉頭がんは、放射線治療が基本。治癒率は放射線も手術も同程度ですが、手術では声帯の摘出を余儀なくされる一方、放射線は声という機能を温存できる点でメリットが大きく、放射線が選ばれるのです。

 ところが、つんく♂さんが受けた治療は当初、「放射線治療と分子標的薬による化学療法を併用した方法で治療を行ってきました」と書かれています。治療法からも、放射線のみでは完治しないほど進行していたことが見て取れるのです。

 案の定、その治療から半年後の昨年秋、がんが再発。声帯全摘手術を受けています。その結果が、あの衝撃告白に結びつきました。

 つんく♂さんと対照的なのが、落語家の林家木久扇さん(78)です。昨年6月ごろ声がかすれたことですぐ受診。「喉頭がんのステージ2」と診断され、放射線治療を受けています。

 平日は週5で通院しますが、1回の照射時間は1分もかからず、痛みも熱さもありません。手術に比べて肉体的な負担の少なさは明らかですが、1969年から“皆勤”だった「笑点」を一時降板。

 治療を終えてからもしばらくは、思うように声が出ず、「喉頭がんは廃業の恐怖と隣り合わせでした」と危機感を募らせたそうです。

「笑点のあの場所をだれかに取られるんじゃないか」という不安とも戦いながら、治療を続けたところ、声が戻り、診断から3カ月後の9月27日、「笑点」に復帰しています。

 木久扇さんは胃がんの経験もあり、検診は毎年受けています。それを踏まえると、喉頭がんが見逃されたと思われるかもしれませんが、喉頭がんの頻度はがん全体の0.6%程度と少なく、一般的な検診には、喉頭がんを見つけるための検査が含まれていません。

 だからこそ、木久扇さんのように自覚症状を見逃さず受診することが大切なのです。声が出にくい、かすれるというときは、すぐ耳鼻咽喉科を受診してください。明暗が分かれた2人の姿は、読者の皆さんの教訓になるはずです。

中川恵一

中川恵一

1960年生まれ。東大大学病院 医学系研究科総合放射線腫瘍学講座特任教授。すべてのがんの診断と治療に精通するエキスパート。がん対策推進協議会委員も務めるほか、子供向けのがん教育にも力を入れる。「がんのひみつ」「切らずに治すがん治療」など著書多数。