「“余命”は平均で表せるような単純なものではない」と繰り返し書いてきましたが、今日は余命自体について考えてみたいと思います。
一言で余命といいますが、実はその中身は多種多様です。ベッド上で寝たきりの人から、普段通り仕事を続けている人まで、ひとくくりにしているわけですから、「余命3カ月」といっても実態が全然違うということは、容易に分かります。
そもそも余命ということ自体、意味がないのかもしれません。平均だろうが中央値だろうが、90パーセンタイルだろうが、いかなる数字で余命を示そうとも、重要なのは数字で表される長さではありません。その「質」こそ重要ではないかと思うのです。問題は単に生きているかどうかということではなく、日々の生活を幸せに生きているかどうかだといえば、もっと分かりやすいかもしれません。
もう少し具体的に書いてみましょう。たとえば進行がんで残された時間はそれほど長くないかもしれないという状況で、残り時間の大部分を治療のための通院や、病気と闘うためのいろいろにつぎ込んでしまって、ほとんど自分や家族との時間がないままに6カ月生きるというのと、通院もせず民間療法にも頼らず、残されたすべての時間を自分と家族のために使って1カ月を過ごすというのとでは、どちらが幸せかということです。
片や余命は6カ月ですが結局、苦しい治療をしていただけ。片や余命は1カ月でしたが、その時間を家族とともに幸せに過ごせたわけです。みなさんはどちらを選ぶでしょうか。考えてみてください。
医療数字のカラクリ