俺は選手時代から風邪をひくこともなかったし、病気もケガもなかったね。レスラーはみな専用バスで一緒に移動だし、宿泊先は旅館で雑魚寝。早く伝染しやすい環境だったけど、隔離されるほどひどい風邪をひくヤツもいなかった。レスラーはみんな、風邪を病気だと思っていなかったのかな。今では地方で泊まりなら、ホテルで個室だけどね。
大きなダメージといえば「アキレス腱断裂」。
1993年、42歳の時、青森のリングに立ってゴングが鳴ってすぐだった。ボーンとロープに体を預けてバウンドしようとした瞬間、爆竹か何かが鳴ったような大きな爆発音がした。でも、ここは体育館の中、そんな火元もない。バットで足を強く殴られたような大きな痛みがした。と、思った瞬間、つまずいて転んだ。「何でこんなところで転ぶんだ?」と思った時には、右足首から下がプラプラ。力が入らなくなっていた。動けないから、どうにもできない。そのまま退場、不甲斐ない試合になった。
その日は青森で1泊して東京に翌日戻り、両国の同愛記念病院に直行。ここはアスリートの専門病院で、筋肉や関節の名医が揃っているんです。入院中の力士やスポーツ選手がたくさんいた。そして断裂から2日後に手術。俺の場合、太いアキレス腱がバッサリ断裂したから、爆竹のような爆音がしたように感じたらしい。アキレス腱が伸びると、力を入れてもしっかり踏ん張れなくなるから、断裂した方が再生しやすいらしいよ。
20年近く毎日同じようにストレッチとトレーニングをしてから試合に臨んでいるのに、なぜその時、切れたのか。医師に理由を聞いたんだけど、「どんなにストレッチしていても、切れる時は切れる」としか言われなかった。普通のサラリーマンでも、ある日突然アキレス腱を切ることがあるらしいから、俺だけに特有の故障とも限らないそうです。
入院していてもやることがないから、足以外のトレーニングをすぐ始めた。アスリート専門の病院だから、スポーツジム以上にリハビリ施設が充実していてね。ちょうど隅田川の花火大会があって、花火がよく見えた。病室は特等席だったよ。
2カ月後には退院し、その3カ月後ぐらいに、若手選手たちを連れて温泉に行った。せっかくの温泉なのに湯に漬かれないのも何だなと思い、若いヤツにギプスを切らせて、外して入ったよ。ギプスをしたままだと足が痩せるからね。俺の場合は自分の体と向き合うのが仕事だから、そこは自己裁量だね。
4カ月後にはリングに戻った。復帰直後、アキレス腱の不安は多少よぎったけど、基本的に気にしない。毎日試合があったから、大きなケガをしなかったんだと思うよ。
最近は、歩かなくなったせいで、階段を上ると息が上がる時もあるし、首や腰の痛みもある。でも、現役時代と変わらず、毎日道場に行って1~2時間はトレーニングしています。毎日鍛えていると、サプリメント類を飲む必要もない。せいぜい食の傾向が魚好きになったくらいで、出されたものを食べる。
一昨年、テレビ番組の人間ドックに入る企画で、血糖値がやや高いので糖尿病に気をつけるよう言われたけど、別に数値はここ数年変わっていないから正直、気にしていないな。他は問題なし。また久々に健康番組に出演して、人間ドックでも受けてみるかな。
▽ちょうしゅう・りき 1951年、山口県生まれ。レスリングで72年ミュンヘンオリンピック出場。大学卒業後、新日本プロレス入門。2010年1月、藤波辰爾、初代タイガーマスクらと「レジェンド・ザ・プロレスリング」を旗揚げ。日本一滑舌の悪いLINEスタンプも人気。著書に今までの試合や事件について自身が語った「真説・長州力」(集英社インターナショナル)。
独白 愉快な“病人”たち