Dr.中川のみんなで越えるがんの壁

【北の湖さんのケース】直腸がん診断から4年後の訃報は「急逝」か

北の湖敏満さん
北の湖敏満さん(C)日刊ゲンダイ

 昭和の大横綱は、最期まで相撲を愛していたのでしょう。今月20日、直腸がんによる多臓器不全で、62歳で亡くなった北の湖敏満(本名・小畑敏満)さんのことです。

 日馬富士の優勝で幕を閉じた九州場所には、相撲協会理事長として初日から九州入り。連日、報道陣に取組を熱く解説する傍ら、親しい関係者には「腰が痛い」と漏らし、車いすに頼るシーンもあったそうで、千秋楽の2日前、貧血などを訴え、搬送先の病院で帰らぬ人に。亡くなる直前まで角界に寄り添った人生といえます。

 直腸は大腸の一部で、肛門から20センチほどの部分。そこにできたがんは早期なら手術によって9割が完治します。しかし、病状の経過や多臓器不全という結末から、がんはかなり進行していたのでしょう。多臓器不全は、がんが複数の臓器に転移し、それぞれの臓器が機能不全に陥った状態。がんの終末期によく見られます。

 直腸がんが見つかったのは2011年3月。内視鏡手術を受けたのは翌12年8月。その後も、腸の具合はよくなかったのか、大腸ポリープの切除や腸閉塞などで入退院を繰り返したそうです。

 腸閉塞は、ポリープや腫瘍などによって、腸が詰まった状態。がんが進行していたことがうかがえます。

 昨年末には、膀胱にもがんが見つかり、今年8月には両側の水腎症で入院、手術を受けています。膀胱がんから尿道に広がったがんによって、尿の流れがせき止められて、左右の腎臓がパンパンに拡張してしまったのです。

 関係者に漏らした「腰の痛み」や「目の見えにくさ」からは、骨や脳への転移がうかがえます。まさに満身創痍ですが、それでも人前では元気な姿を見せていました。ご家族が希望されていた延命治療を拒否されたとの報道もあって、「急逝」がクローズアップされています。確かに突然の訃報かもしれませんが、最初にがんが見つかってから4年が経過。必ずしも急逝とはいえないでしょう。

 何度となく触れましたが、川島なお美さん(享年54)や愛川欽也さん(享年80)も延命治療を拒否したことで、亡くなる直前まで仕事をこなしていました。治療法の選択を間違えなければ、がんは亡くなる直前まで普通に生活できる病気なのです。

 最初の直腸がんが見つかった11年は、角界に八百長問題が浮上し、春場所が中止になりました。正義感の強い方でしたから、自分の体の治療より角界のトラブル処理を優先して、手術が1年後になったのかもしれませんが、早期発見できていたのかどうかは気になるところです。

 便検査は、便の潜血反応からがんや潰瘍、ポリープなどを見つける検査。これを年2回受けると、早期の大腸がんが見つかり、死亡率が3割以下に下がります。健康診断での検便をおろそかにせず、異常が指摘されたらすぐ治療を受けることです。

中川恵一

中川恵一

1960年生まれ。東大大学病院 医学系研究科総合放射線腫瘍学講座特任教授。すべてのがんの診断と治療に精通するエキスパート。がん対策推進協議会委員も務めるほか、子供向けのがん教育にも力を入れる。「がんのひみつ」「切らずに治すがん治療」など著書多数。