天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

左心耳縮縫術で脳梗塞を予防する

順天堂大医学部の天野篤教授
順天堂大医学部の天野篤教授(C)日刊ゲンダイ


 心臓手術後の脳梗塞を予防する手術があると聞きました。それはどんな方法で、どうしたら受けることができるのでしょうか。(73歳・女性)


 脳の血管が詰まって起こる脳梗塞はいくつか原因がありますが、全体の3分の1は心臓が原因となる心原性脳梗塞です。そして、その9割が「左心耳」で形成された血栓によるものであることがわかっています。

 左心耳とは、心臓の左心房の上部にある袋状に突起した部分です。心臓が細かく不規則に収縮を繰り返す心房細動が起こると、ここの血流が悪くなるため、血栓ができやすくなります。その血栓が移動して脳の血管で詰まると、脳梗塞が起こるのです。

 心臓の手術を受けた患者さんは、どんなに手術が完璧だとしても、術後に脳梗塞を起こすリスクがアップします。心臓の手術では一時的に心臓の膜を切開し、再び縫って閉じる処置が行われます。回復する過程において、どうしても縫い合わせた部分が癒着を起こすため、心臓が血液を蓄える際に拡張する機能が制限されてしまいます。その分、トータルでの心機能が低下するので、左心耳も含めた心臓内では血液によどみができて血栓が形成されやすくなり、脳梗塞の原因になっていくのです。

 心機能が落ちている状態は、一般的に術後半年ほど続きます。そこから1年ほどで徐々に回復してきて、2年くらいでほぼ手術前と同じような状態に戻ります。ただし、治癒過程は患者さんによってさまざまで、切開した場所や癒着の具合、手術の種類などによって変わってきます。回復までに時間がかかる人は、それだけ心機能が低下している状態が長引き、脳梗塞を起こすリスクも高くなるのです。

■天皇陛下にも受けていただいた

 そうした術後の心原性脳梗塞を防ぐためには、患者さんは血液を固まりにくくする抗凝固剤を服用しなければなりません。しかし、人工的に血を止まりにくくする薬は、何かアクシデントがあった時に重篤な状態になってしまうリスクが高いといえます。手術後、抗凝固剤を飲んでいた患者さんが転倒し、脳出血を起こして植物状態になってしまったケースもありました。

 そこで、われわれが行っているのが「左心耳縮縫術」です。心臓手術を行う際に付随して行うもので、多くの血栓が形成される袋状の左心耳を糸で縫い縮め、血液の行き来を遮断します。3年前に執刀させていただいた天皇陛下の冠動脈バイパス手術の際も、左心耳縮縫術を行いました。この方法は抗凝固剤を服用するのと同程度以上に脳梗塞を予防します。

 左心耳は、他の臓器でいえば盲腸と同じようなもので、仮に取り除いてしまっても問題はありません。胎生期から小児期にかけて心臓が成熟していく過程では、心房の収縮を規則正しくコントロールするために使われていたと思われますが、心臓の発育が終わってしまったあとは、必要ない部分だといえます。

 心房細動を治すメイズ手術(心房の筋肉を一度切り刻んでから修復させる)を見ても、左心耳を切っても問題ないということはわかっています。われわれが冠動脈バイパス手術を行う際、併せて左心耳縫縮術を行った患者さんの予後も良好であるというデータも積み重ねています。それほど難しい方法ではなく、心臓手術の際に付随して行っても5分程度で終わりますし、糸1本で済むので費用も1000円程度しかかかりません。

 ただし、まだ実施している施設は少ないのが現状です。次回、さらに詳しく解説します。

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。