独白 愉快な“病人”たち

倉本昌弘さん(60) 心臓弁膜症

倉本昌弘さん
倉本昌弘さん (C)日刊ゲンダイ
検査後、アッという間に絶対安静の重病人に

 病気が発覚したのは45歳のとき。2000年5月、岡山のトーナメント会場でした。初日を終えた後、体がだるくて“風邪をひいたな”と思ったんです。それで大会事務局に紹介してもらって、岡山の日赤病院へ。症状を話すと「風邪ですね」ということで、点滴を打っていただいたんです。

 その点滴中、再びその先生がやって来て、「ちょっと気になることがあるので念のため血液検査をしましょう」と言われました。すぐに点滴を打っている反対の腕から採血され、ものの30分もしないうちに「白血球がすごく多いので肺炎です」と言われたんです。

 さらに、点滴をしながらレントゲンを撮り、肺炎が確定。「今日は病院に泊まってください」と言われましたが、その時点ではまだトーナメントに出るつもりで一度ホテルに戻りました。

 翌日のスタートに間に合うよう早朝4時30分から再び検査を受けた結果、先生から「このままプレーすればいろいろな病気を併発する可能性もあるし、肺炎は思っているほど甘くないですよ」と言われてトーナメントを断念。車いすが用意され、鼻には酸素吸入の管をつけられました。

 おそらく先生は最初から気付かれたんだと思いますが、そのとき初めて「肺炎の他に心臓にも何か欠陥がある」と告げられたんです。それで、「実は、学生時代に心臓が大きくて不整脈や雑音があったので検査を受けたところ『特に問題はない』と言われたことがあるんです」と答えると、今度は心臓の検査になり、心不全が発覚。車いすからストレッチャーに替わり、あれよあれよという間に絶対安静の重病人になりました。

 その後、心臓弁膜症のひとつ「僧帽弁閉鎖不全症」だと分かりました。心臓の弁が閉じにくくなって血液が逆流してしまう病気です。東京の慈恵会医大病院で、自分の弁を修理する弁形成術という手術を行いました。

 胸骨を切って行う開胸手術で、死亡リスクは8%だったかな? 手術時の輸血で必要な自己血をためるため、手術までに1カ月間余裕があったので、「最後の晩餐」なんてジョークを言いながら、結構な数の友人や親戚と食事をしました。ゴルフに関しては割と神経質ですけど、このときは案外楽観的でしたね。おかげで手術前の検査で尿酸値が上がってしまって(笑い)。

 手術は9時間かかりました。ツラかったのは、その夜です。胸ではなく、背中とお尻がとにかく痛い。胸骨を切って7~8時間ほど胸を開いたせいで、背中にシワ寄せがあったんでしょうね。全然、眠れなくて、寝たなと思っても1時間しかたっていないんです。人工呼吸器がついていたので訴えることもできず、口がカラカラでも一滴の水も飲めず、後にも先にもあんなに長い夜はなかったです。

 でも、翌朝には自己呼吸になって一般病棟に戻り、その翌日には「もう歩いていいですよ」と言われ、点滴や尿管をつけながらガラガラと院内を散歩しました。

 3週間ほどで退院。ゴルフは「半年ダメ」と言われましたが、退院後1カ月目からパッティングやアプローチなどの軽いスイング練習を始めました。左右均等に力がかかるぶんにはまったく痛くないんです。ただ、片手でミカンをキャッチしたときは「イタタタッ」ってなりましたけど。

 3カ月後には通常のゴルフをして、翌年にはトーナメントに復帰。50歳になってシニア入りして米国ツアーに出場しました。それを術前から目標にしたんです。術後に5年間の計画を立て、年間目標を達成するために毎日すべきことをコツコツやりました。今も年間20回くらいは試合に出ますし、会長としても各地を飛び回る日々を続けています。

 あの日、点滴だけで終わっていたら、今の生活はなかったかもしれませんね。

▽くらもと・まさひろ 1955年広島県生まれ。現PGA(日本プロゴルフ協会)会長。10歳でゴルフを始め、81年プロテスト合格。2003年に通算30勝目を記録。57歳で欧州シニアツアー優勝。14年から会長職とプレーヤーを両立させている。