Dr.中川のみんなで越えるがんの壁

【竹田圭吾さんのケース】膵臓がんでも最期まで仕事を続けるために

竹田圭吾さん
竹田圭吾さん(C)日刊ゲンダイ
番組出演が生きがい

 ニュース分析に定評があったジャーナリスト・竹田圭吾さんが10日、膵臓がんで亡くなりました。享年51。昨年9月にテレビ番組でがんを公表。抗がん剤の副作用で脱毛し、かつらを着けていたそうです。

 別のテレビ番組には、昨年12月22日まで出演。一連の報道によれば、大学時代、アメフトで鍛えた182センチ、80キロの体は病魔にむしばまれ、歩くのもつらく、テレビ局では車いすが用意され、番組終了後はスタッフの介助で荷物をカバンに詰めていたといいます。

 新年4日にはラジオ番組に出演。11日を最後に降板し、降板理由を語る予定だったとか。最期までメディア出演に意欲を見せていました。

「番組に出るのが生きがいなんだ。出ると元気になるんだ」と気力を振り絞っていたそうで、その生きざまに刺激を受けた人も多かったでしょう。

 振り返ると、2013年に一時レギュラー番組を降板し、病気療養していますから、膵臓がんが見つかったのは恐らくその前ごろ。そうだとすれば、発見から2年余りでの悲劇ということになるかもしれません。

 膵臓は、胃の後ろにある20センチほどの臓器で、十二指腸や大腸、肝臓、胆のう、脾臓などに囲まれているため、腹部エコー検査では異常を見つけにくい。早期発見が難しく、診断時にがんが進行しているケースが少なくありません。外科手術で完治するケースはまれで、術後に補助的に化学療法を追加するのが標準。竹田さんも、術後に化学療法と一部の免疫療法を受けていたそうですから、進行がんだったのではないでしょうか。それでも亡くなる直前まで仕事をされていた事実は重い。ツイッターには、こんなつぶやきがあります。

■ガンは「闘う」ものではない

「がんというのは、必ずしも『襲われて』『闘う』ものではないと思う。自分の中に住みついたものを、なだめすかしながら、なんとか抑えながら生活の質を維持していく、がんとはそういうものだということを、検診の段階から少しでもイメージしておくことは大事ではないか」

 その通りで、生活の質を軸に治療法を選択することも大事です。竹田さんにとっては、その大きな目的が仕事だったのでしょう。

 メディア出演にこだわった復帰後の仕事ぶりから、治療法の選択が推察されます。体への負担が重く休養を余儀なくされる化学療法はある程度にとどめ、復帰後は体に負担の少ない免疫療法に─―。

 そうやって仕事を続けながら、治療を受けていたのではないでしょうか。だからこそ休むことなく、最期まで仕事ができたと思えるのです。やみくもに化学療法を続けたら、ここまで仕事ができなかったかもしれません。

 毎年約3万7000人が膵臓がんを発症。これに匹敵する約3万2000人が亡くなっています。胃や肺、大腸の3大がんの死亡者数は、新規患者数の4~6割。膵臓がんが難治がんといわれるゆえんですが、そんながんに対する心構えを竹田さんの生きざまから学ぶことができるのです。

中川恵一

中川恵一

1960年生まれ。東大大学病院 医学系研究科総合放射線腫瘍学講座特任教授。すべてのがんの診断と治療に精通するエキスパート。がん対策推進協議会委員も務めるほか、子供向けのがん教育にも力を入れる。「がんのひみつ」「切らずに治すがん治療」など著書多数。