独白 愉快な“病人”たち

フリーキャスター・梶原しげるさん(65)軽度脳梗塞

少年の頃から心配症だったという
少年の頃から心配症だったという(C)日刊ゲンダイ
CTでは異常なし。入院3日目には「ご自宅で様子を見ますか?」と言われた

 57、58歳の頃でした。日曜の午後、妻と犬の散歩に出かけたら、突然、動けなくなって右足が前に出なくなりました。

「これは脳梗塞か……」

 妻が不思議な顔をしている中、ろれつは大丈夫、手先は動く、足の指も動く……と自分なりに確認しました。でも、足が出ない。で、少し落ち着いてからなんとかブロック塀をつたって家まで帰りました。

 翌日の生放送の仕事のことを考えると心配なので、夜になって近くの救急外来に行きました。緊急性が感じられないせいもあり、やっと診察していただけたのは夜の10時ごろ。脳のCTスキャンは問題なしでしたが、様子見ということで入院したんです。

 翌日改めて、朝から夕方まで時間をかけてくまなく検査を行い、その後、仕事に向かって、また晩に病院に戻りました。結局、病院にジッとしている日はなく、合間をみて仕事に抜ける状況が続き、3日もすると医師から「ご自宅で様子を見ますか?」と言われて退院となりました。

 まあ、問題なかったので良かったのですが……。ほんの一瞬、脳が詰まって、その後、戻ったんじゃないかと思われます。その後、薬を飲むこともなく、定期健診に通う程度で終わりました。大騒ぎして、なんだかオオカミ少年のような、歯切れの悪い病気でした。

 この話を鳥越俊太郎さんにしたら、「早期発見のためにはそのくらい用心深いほうがいいんですよ」とおっしゃってくださいました。

 でも、私は「心配症」っていう病気なんじゃないかって思うところが子供の頃からありましてね。高校生の時、祖父の死因が胃潰瘍じゃなくて胃がんだったことが判明したのをきっかけに、ゲップがよく出るので「自分も若年性のがんじゃないか」って思ったことがあったんです。

 それで、「がんセンターに行きたい」と高校生の坊主が言うんですからおかしな話ですよね。まだインターネットもない時代にいろいろ調べ上げて母親を説得して茅ケ崎から築地まで検査に行きました。

 1週間後、検査結果を聞きに行くと、医師はぶっきらぼうにひと言。

「胃酸過多。しいて言えば」

 私はすっかり、ひやかしの患者です。結局、母と東京で飯を食べて帰ってきました。

■「暇」がネックに

 振り返ると、42歳でフリーになってから10年は暴飲暴食と激務の日々でしたけど、病気の心配はしなかったですね。ということは、暇だから余計なことを考え始めるのかもしれません。40代のときはスーツが着られないほど下半身が太りましたが、外食も減り、家で魚や野菜中心の食事になり、酒も2合までと控えめでした。

 最近は、心配事の対象が自分から周囲にシフトしてきました。出かけるたびに、亡くなった友達と来た店、好きだった食べ物を思い出すことが多くなった。うちの犬もいい年になり、脳疾患でたまにけいれんを起こすんです。

 もう子供も巣立ち、この犬がいなくなったらと思うと心配で心配で……。ジジイなのにセンチメンタルなんですよ、多分。「忘れる」ということは、健全なことなんですよね。

▽かじわら・しげる 1950年、神奈川県生まれ。文化放送アナウンサーを経てフリーキャスターに。山梨のYBSラジオ「はみだし しゃべくりラジオ キックス」出演、日経Bizアカデミーで「プロのしゃべりのテクニック」を連載。新著に「まずは『ドジな話』をしなさい」(サンマーク出版)がある。