独白 愉快な“病人”たち

NTT Comラグビー部コーチ 栗原徹さん(37)喘息

「喘息が理由でラグビーをやめようと思ったことはない」と語る
「喘息が理由でラグビーをやめようと思ったことはない」と語る(C)日刊ゲンダイ
検査で即入院レベルも「5日間、点滴だけでしのぎました」

 いままでで体調が一番危なかったのは、実は去年でした。コーチになって初めての夏、1カ月間近く37.5度ぐらいの微熱がずっと続いていたのに、そのまま2週間の夏合宿に突入。合宿を終えて帰ってきたら40度の高熱が出て、喘息の発作もひどく、お世話になっている病院で精密検査を受けたんです。

 すると、CRP(体内に炎症があると高まる血清タンパク質の一種)の値が通常の100倍ぐらいに上がっていて“即入院レベル”でした。でも、入院はせずに5日間毎日点滴でしのぎました。その間、練習は休ませていただいて、なんとか大会直前に復帰できたんです。

■練習中に呼吸困難になり発覚

 小さい頃から風邪をひきやすく、風邪をひくと胸がヒューヒュー鳴って、ずっと「気管支炎」と言われていました。それでも小学生のときはサッカー少年で、苦しくなると休ませてもらいながら走り回っていたんです。

 初めて喘息と診断されたのは高校1年、16歳のときでした。ラグビーの練習中に呼吸困難になって倒れたのがきっかけです。

 それまでは、熱があったり風邪をひいたときは即休ませてもらっていたのですが、倒れたときは高校の全国大会が間近に迫っていた大事な時期でした。それで無理して休まなかったのがいけなかったのだと思います。

 それまでは「喘息」という言葉も知らなかったんですが、気管が炎症を起こして狭くなる病気で、場合によっては命の危険もあると知り、驚きました。それ以降は、発作を起きにくくする薬を朝1回飲むことと、サルタノール(気管支を広げる薬)を吸入する吸入器が手放せない生活です。

 発作は寝る前や起きたときが多いのですが、水を飲んでむせただけでも始まることもあります。発作を起こすと、息を吸っても吸っても酸素が入ってこない感じになりますから、吸入器は体の一部といってもいいくらい必要不可欠なものになっています。生活するいろいろな場所に置いてありますし、現役時代は練習中トレーナーさんに携帯してもらっていました。

■練習前には肺を“ラグビー仕様”に

 それでも、喘息が理由でラグビーをやめようと思ったことは一度もありません。実際、苦しくなるときはありますし、足は速くても持続力がないという欠点はあります。でも、少し時間をかければみんなと同じ練習量はこなせます。感覚的にいうと、普通に生活しているときの肺とラグビーをやるときの肺の大きさが違うんです。ウオーミングアップの時間を人より多めに取って徐々に肺をラグビー仕様にする感じですかね。

 発作もじわじわくるので、起きるときは“あ、そろそろだな”とわかるんですよ。その時点でサルタノールを吸入すれば大事には至りません。苦しくなりかけたら四つん這いになるとか、息を細く長く吐くことで肺に圧をかけるなど、呼吸が楽になる方法を誰に言われたわけでもなく編み出しました。

 なにより自分にとってよかったのは、ときどき休まなければならなかったことで、効率のいいプレーを考えて工夫するくせが自然に身についたことです。たとえば、現役時代のフルバックというポジションは非常にたくさんの距離を走るのですが、自分はなるべく無駄のないコース取りをすることでカバーしました。

 思えば、サッカー少年の頃からそうでした。華麗なシュートを決める人よりも、それに至る手前のなんでもないパスに魅力を感じるタイプで、ラグビーでも休んでいる間にチームの動きを考えることが多いんです。復帰後にはアイデアがあふれて仕方ないくらい。「喘息の人は思考が深くなる」――。そんなふうに言われたこともありますが、もしかすると体力以外のところでチームに貢献する方法を探してきたことが、現役引退後もコーチとして声をかけてもらえた一因かもしれません。

 喘息があってもスポーツはできます。プロであれアマチュアであれ、必要なのは自分をよくわかっていてくれる医師と周囲の理解・協力です。だから、理解を求める努力を惜しまないでほしいですね。

▽くりはら・とおる 1978年茨城県生まれ。中学でラグビーを始め、慶応大学を経てサントリーサンゴリアスでプレー。08年からNTTコミュニケーションズ・シャイニングアークスで活躍。2014年引退。翌年から同チームのスキルコーチに就任。3児の父。