薬に頼らないこころの健康法Q&A

誰もが通る「同郷の友達と心が離れていく」違和感と解決法

井原裕 独協医科大学越谷病院こころの診療科教授
井原裕 独協医科大学越谷病院こころの診療科教授(C)日刊ゲンダイ
高校時代のような一体感はなくても、大切な存在であることに変わりない



 僕たち4人は、北関東の高校でサッカー部の仲間でした。弱かったですが、3年間一緒にグラウンドで過ごしました。卒業とともに、A君は千葉の大学に、B君は都内の専門学校へ、C君は都内の会社に就職。僕は神奈川県内の自動車整備工場で勤め始めました。

 最近、1年ぶりに会いました。A君はシステムエンジニアを目指して、勉強中。B君は彼女と最近別れたようです。C君は3カ月後に名古屋に研修に出るといいます。4人が顔を合わせると、かつてと同じアクセントに戻りました。ただ、僕は違和感も覚えました。彼らは青春を謳歌しています。ところが僕は、毎日、工場で油にまみれています。僕の周りはおじさんばかりで、青春とはほど遠い毎日です。今回、久しぶりに仲間と会って楽しかったけど、疎外感も感じました。



 4人とも、夢を追って都会に出てきた若者です。その後、それぞれの運命は違ってきたけれど、それは各自が自分の人生を歩き始めたからです。

 高校の頃に一体感があったのは、4人でシンプルな目標を共有していたせいでしょう。一緒にいた時間も長かったから、お互いに相手が何を考えているのかも分かっていました。

 その後、都会で別々の環境の生活を始めました。今は笑いながら語り合っても、奥底ではなじみきれない違和感が残ることでしょう。でも、それでいいのです。4人には共通の思い出があって、その上に新たな経験が付け加わったのです。

 郷里の仲間が時折、再会することは、とても意味のあることだと私は思います。都会というところは、友人をつくることのきわめて難しい場所です。C君や君のように就職した人は、特にそうです。職場で知り合う関係というものは、実にもろく、仕事の必要性がなければ、まずプライベートで会って話すこともありません。転職したり、派遣社員になったりすると、とたんにそれまでの人間関係が切れてしまいます。

 仕事仲間以外で友達ができる場合もあります。でも、学生のときのように始終会うわけではなく、わざわざ「次はいつ会おうか」というようなアポイントをとらなければなりません。まるで仕事での面談予約のようなよそよそしさです。

 それに、都会で知り合う人には、それなりの警戒心も必要です。学生時代のクラスメートと違って、他から噂が耳に入ってきません。「その人のことを他の人がどう思っているか」を知り得ない状況で、新たに人と知り合うことになります。ここには、故郷の幼馴染みにはない危険がはらまれることも確かです。

 結局のところ、都会では誰もが人を完全には信用していない状況で、それにもかかわらず人と関係して生きていくことになります。ここに、都会特有のストレスがあります。緊張感や警戒心をかたときも解くことができないのです。

 私としては、A君、B君、C君とはこれからも時折会うことをお勧めします。都会というジャングルで生き延びていくには、仲間が必要です。彼らとは高校時代のような一体感はなくても、少なくとも互いに腹を探らなければならないような警戒心は持たなくて済むでしょう。

 同じボールを追いかけた思い出を胸に秘め、今は少しよそよそしいでしょうけれど、彼らとは細く長い連携を維持してください。

井原裕

井原裕

東北大学医学部卒。自治医科大学大学院博士課程修了。ケンブリッジ大学大学院博士号取得。順天堂大学医学部准教授を経て、08年より現職。専門は精神療法学、精神病理学、司法精神医学など。「生活習慣病としてのうつ病」「思春期の精神科面接ライブ こころの診療室から」「うつの8割に薬は無意味」など著書多数。