独白 愉快な“病人”たち

日本水泳連盟理事 萩原智子さん(35)子宮内膜症

萩原智子さん
萩原智子さん(C)日刊ゲンダイ
告げられた時は軽いパニック状態。びっくりしすぎて細かいことは覚えていません

 ずっと、月経は軽い方でした。痛くなりはじめたのは高校生ぐらいから。「なんかおかしいな」と思って友人に聞くと、腰が痛かったり、お腹が痛いのは当たり前みたいでした。それに、みんな痛み止めの薬を飲んでいると知って、自分も飲み始めました。

 薬を飲めば確実に効くので、こういうものなんだと思ってずっと気にしていませんでした。でも、長年の間に痛みが徐々に増していき、それを多めの薬でごまかすようになって、最後は用量を超えていたほどでした。

 痛みがピークに達したのは、2010年12月と翌年1月の月経時でした。動けないほどの痛みに襲われたんです。そんなことは初めてで、腹痛はもちろん、腰痛、排便痛、頭痛、熱、寝汗もひどくて……。おまけに胃がカチカチで何も食べられない状態になってしまいました。あわてて内科を受診するとエコーを撮られ、すぐに婦人科を紹介されました。30歳の“婦人科デビュー”です。

 そこで「子宮内膜症です。卵巣嚢胞があるね」と告げられました。もう、びっくりしすぎて細かいことは覚えていません。まさか、自分がそんな病気になるとは思ってもいなかったので、「子宮? 卵巣? 何それ?」と、軽いパニック状態です。

 念のため、夫と一緒に別の婦人科にも行きましたが、そこでは「あなたは不妊症です」ぐらいな厳しい言われ方をされました。頭が真っ白になり、車で待っていてくれた夫の顔を見るなりブワッと泣いてしまいました。

 その後、「このままじゃ諦められないからもう1カ所だけ行こう」と、夫が知り合いの医師から紹介していただいた日赤病院の婦人科に行きました。そこで救われたんです。担当は年配のベテラン先生で、他の病院で不妊症と言われた件を告げると、「誰がそんなことを言ったんだ」と憤慨し、「治療すれば妊娠できる確率は上がる」と言ってくれました。

■信頼できる医師と出会い、その場で手術を即決

 病状を絵に描いて丁寧に説明してくれたのも他の病院ではなかったこと。チョコレート嚢胞(卵巣嚢胞の一種)が7センチぐらいになっていて他の臓器に癒着しているから、排便痛や胃がカチカチになっているんだと知って納得できました。治療法もいくつか挙げていただき、「この先生なら任せられる」と思えました。選んだのは腹腔鏡での嚢胞の摘出手術。即答です。月経の痛みに耐えきれなかったのと、先生を信頼できたので、その場で手術の日程まで決めて帰ってきました。セカンドオピニオンってよく言われますけど、信頼できる医師に出会うことが大事なんだと思います。

 そうはいっても、生活は荒れに荒れました。思考が停止して、頭の中から「水泳」という文字も消えるほど。家事もせず、お風呂も入らず、ソファでボーッとする無気力な日々が続き、自分が世界で一番不幸だと思っていました。しかし、ブログに病気のことを公表したところ、「私も子宮内膜症だけど出産しました」といった励ましの言葉がたくさん届きました。「意外と身近な病気なんだな。自分だけが特別じゃないんだ」と知ることができて元気づけられました

■婦人科受診「ハードルが高い」は大きな間違い

 驚いたのは、手術後に初めて迎えた月経でした。なにこれ? っていうくらい無痛だったんです。先生からは、子宮がキレイになったので今から3年ぐらいが妊娠のチャンスと言われました。私は妊娠を最優先で考え、12年のロンドン五輪出場を諦めて水泳は引退しようと考えましたが、夫は「チャンスは3年ある。五輪代表選考会まではあと10カ月だから死ぬ気でやりなよ」と言ってくれたんです。先生の「重たいのを取ったから、これで速く泳げるよ」というジョークにも大笑いして、挑戦することを決めました。

 結局、五輪には出場できませんでしたが、水泳ととことん向き合うことができました。それから3年以内に長男を授かりましたし、月経痛もなくなって信頼できる先生にも出会えました。本当によかったと思っています。

 ただ、子宮内膜症は月経がある限り再発する可能性があるので、定期的な検診が必要です。婦人科受診は、なんとなくハードルが高い。でも、それは大きな間違い。自分の体のメンテナンスは大事にしてほしいです。「20歳になったら婦人科!」って言いたいくらいです。

▽はぎわら・ともこ 1980年、山梨県生まれ。00年シドニー五輪の200メートル背泳ぎで4位入賞。04年現役引退し、06年に結婚した。09年に復帰してロンドン五輪を目指すが、出場はかなわず12年に現役を退く。現在、日本水泳連盟理事を務める傍ら、水泳指導とともに水の大切さを知る「水の教育」に尽力している。