Q 看護大学に通う娘を持つ父親です。娘は看護師という職業に強い尊敬の念をもっていて、この仕事に人生を懸けようと人一倍努力し、あえて難関の看護大学を受けて合格しました。私としては、娘の意気込みに喜んでいたのですが、実習が始まってから落ち込んでいるように見えて心配しています。どうやら、現場の先輩たちの士気が思いのほか低いことにガッカリしているようなのです。特に、娘が青臭くもナイチンゲールの話をしたりすると、鼻で笑って、「あなたは甘いのよ。看護師は肉体労働よ」と言われたようです。この病院が特別なのかもしれませんが、尊敬できる看護師に出会えないのは残念です。看護という職業自体、娘が描いていたような仕事とは違うのでしょうか。
A おそらく実習先の看護師たちは、いわゆる「燃え尽き症候群」状態にあったのでしょう。献身的な努力が何の結果ももたらさなかった時の徒労感が続くと、人はこのように意欲のない、不機嫌で、ひねくれたような状態に陥ってしまいます。
たしかに、すべての看護師がはつらつと仕事をしているわけではありません。燃え尽きている人はいます。張り切ってこの世界に入ってきた娘さんが、燃え尽きた人を目にするのはつらいことでしょう。当面は、「こんな看護師になってみたい」と思わせるようなロールモデルに出会えないかもしれません。
でも、ともかくその実習先で学べるものだけは学んでおきましょう。娘さんの目に最悪として映る看護師といえども、一定の技術は持っています。長年、看護の現場で働いている人たちなので、経験に基づく実践知は持っています。それだけを学べばいいのです。
大切なことは、一部の看護師だけを見て、その印象を一般化しないことです。たまたま実習先であてがわれた指導者が尊敬できないとしても、だからといってすべての看護師が尊敬に値しないわけではありません。
ただし、看護の現実の荒々しさに触れながらも、依然として理想を持ち続けることは容易ではありません。そのようなときには原点に返ってください。フローレンス・ナイチンゲールのクリミア戦争の際の活躍を振り返ってみます。ナイチンゲールは高度の教育を受けていた人で、その視点から看護にも専門的な知識と合理的な思考が必要だと考えていました。彼女が勤めた野戦病院も、燃え尽きた看護師たちばかりでした。混沌と無力感が現場を支配していました。
しかし、そこで彼女は、病院の状況を知的に分析して指揮系統の問題を見いだし、組織の改革案を考え、根気強く理解者を探していったのです。ナイチンゲールは、自己犠牲だけでは、看護の現場は変わらないことがわかっていました。だから、疲労困憊で気力を失ったスタッフの姿を見ても、それをクールな目で見ることができました。そして、現状を知性と合理性をもって変えようとしたのです。
娘さんもどうか、優秀な頭脳をもって現場をまず見てほしいと思います。打ちひしがれ、感情のない肉体労働者に堕した看護師もいるでしょう。しかし、知性と合理性をもってすれば、この過酷な現状のなかですら、娘さんにも何かができるということがわかるはずです。
薬に頼らないこころの健康法Q&A