独白 愉快な“病人”たち

元横綱・芝田山康さん(53) 睡眠時無呼吸症候群

芝田山康さん
芝田山康さん(C)日刊ゲンダイ
医師に「これでよく相撲を取っていましたね」と驚かれた

 「睡眠時無呼吸症候群」という病名は、今でこそ誰もが一度くらいは耳にしたことがあると思いますが、私がそう診断された1989年当時は、世間にまったく知られていない病気でした。

 診断してくださったのは日大板橋病院・呼吸器内科の吉澤孝之医師です。先生にとっても、睡眠時無呼吸症候群を診断した最初の患者が私だったんじゃないかな。そのくらい認知度は低かったと思います。

 病気の兆候は、大関に昇進した頃から始まっていました。周りから「おまえはよく寝るな」と言われるようになったんです。自覚症状としても、移動中の車の中や会話中など、ふとした時にウトウトしているのはわかっていました。でも、周りの話はちゃんと聞こえている。問いかけに対して返事もできたし、車では「次を曲がって」などの指示もしていました。というのも、脳は起きていたからです。ただ、自分のいびきが聞こえたり、片頭痛などの症状もありました。

 そんな状態の中で横綱の地位を勝ち取ったのですが、それからがさらに厳しかった。プレッシャーが大きかったこともあり、体調不良はますます顕著になりました。朝はだるく、昼は眠い。

 稽古では呼吸がすぐ上がってしまうし、成績は振るわない。体を休ませたくても横綱という立場上、簡単には休めない。「それでも前へ進むしかないんだ」と自分を追い詰める日々が続きました。

■心臓に負担かかりポックリいく可能性も

 夜は眠れず、夜中にトイレに起きることが多くなったため、まず疑ったのは糖尿病でした。でも、血液検査は異常なし。原因がわからなかったことで一層、周囲から「太り過ぎ」「稽古不足」とみられるようになりました。「相撲で勝てなきゃ夜も眠れないだろう」――そんなふうに言われたこともあります。

 思えば、15歳の入門時は83キロだった体重が、7年後の大関時代には180キロ、横綱では200キロ以上に増えましたからね。首回りに肉が付き過ぎて、寝ている時には気道を狭くする大きな要因になったわけです。

 膝を故障して休場した89年の7月場所、師匠の紹介で日大板橋病院で改めて検査を受けたんです。すると、血中の酸素濃度が極端に低いという結果が出ました。医師からは「これでよく相撲を取っていましたね」と言われ、聞けば、心臓に負担がかかっていてポックリいく可能性もあるとのことでした。

 睡眠時に10秒以上の呼吸停止が何度もあるということは、体にも脳にも酸素が十分に行き届かないということ。脳は酸素がないと眠れないんだそうです。脳は起きているのに体は寝ている状態で起こりやすいのが金縛り。おかげで何回も遭いました(笑い)。

 治療には「CPAP(シーパップ)」という機器を使いました。鼻に付ける酸素マスクのようなもので、鼻から空気を送り込むことで気道に圧をかけ、呼吸を確保するんです。これを使ったのも日本では先駆けだったと思いますし、角界では私が間違いなくCPAPの第一人者です。今でもずっと使っていますよ。うちの部屋の弟子も4~5人は使っています。

 現在は保険が適用されますが、CPAPは当時、全額自己負担。機内持ち込み用トランクくらいの大きさで1台30万円もするものを2台も買い替えて使っていました。ところが、CPAPを使い始めたら脂肪が落ちてきたんです。病気を治すために、痩せるのは必要なことです。でも、師匠からは「体が萎んできてるぞ。変なものは使うな!」と叱られました。実は、酸素が脂肪を燃焼するのだそうです。

 食事制限で体重コントロールがうまくできなかったのも、この病気が一因でした。「弟子の私がそれを説明するよりは……」と思い、師匠の知り合いの医師と担当医から、酸素と脂肪の関係や心臓への負担、深夜のトイレの原因、CPAPの有効性などを師匠に説明してもらったんです。その帰りの車の中で、やっと師匠は「おまえは病気だったんだな」と言ってくれました。

 いびきがひどく、首が太くて見えないような人は、一度は検査した方がいいと思いますよ。鼻孔を広げるテープなどは意味ありません。問題は喉の奥の気道なんです。

▽しばたやま・やすし 1962年、北海道生まれ。15歳で花籠部屋に入門、16歳で初土俵を踏む。独立した放駒部屋に移り、19歳で十両に昇進。22歳で大関、24歳で第62代横綱となる。28歳で引退後、芝田山を襲名。99年に芝田山部屋を創設。大の甘党として知られ「スイーツ親方」の愛称もある。